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2008年6月30日

●マユの中に入っています

PCが突然、壊れて、
しばらく、日記が更新できませんでした。

皆さん、本当に、それぞれの気持ちをフィード・バックしてくださって、ありがとうございます。
本当に、ここに、投稿くださる人たちの、言葉。エネルギー。
素晴らしいです。
スタッフと、日々、感動しています。

あれから、まだ、私の深いプロセスは続いており、実はとても痛いです。

自分の中で、いろんなエネルギーが渦巻いているのかな。

突然、PCの画面の中に、『私?誰????』と言わんばかりに、?マークが浮かび上がり、
うんとも、すんとも言わなくなりました。

みんなの、メッセージにお返事も書きたいのに〜。
心細い。


「まあ、ここはちょっと安め」
と、神様から言われたのかな。

ようやく、新しいPCを購入。
と、思いきや、もしや、これは、きっと季節の変わり目の風邪?

BBSHの先生のエネルギー・ワークを受けた後、解毒が始まったのかな。
喉の痛み、熱、筋肉痛。

今夜も、マユの中に入って、ゆっくりお休みしています。

本当に、みんな、ありがとうね。エ〜ン。


2008年6月25日

●私の旅だもの

 
自分の書いた日記が、たくさんの心に触れていることを知りました。
でね、これはお返事しなきゃと思い、昼間から書いているんだけど。

この日記は、あくまでも、私のプロセス記録として設けているコーナーなので、皆さんに、苦い胃液を、一緒に飲んでくれ〜その感想を書いてくれ〜などということも、全く要求しませんから、安心してください。

 でもね、同情してくださる人がいたとしたら、それもうれしいです。
私、ほんとうに、同情されたいですもん。
「大変だったね」って。「ひどい話だね」って、一緒に言ってくれる人が、ずっと欲しかったもん。それは、いけないことかな?

 個人のプロセスは、たくさんの人に、同時にプロセスを起こさせるエネルギーを持つことは確かです。
 学校でも、こういう時間をたくさん授業でやります。
 誰かのプロセスをもとに、自分の体や心にどんな変化が起るか。そして、そのエネルギーって、人のエネルギーにも、大きな影響を与えるんだなと、皆さんの真摯な書き込みを読みながら、今、私自身が、影響を受けています。
どんな人の話も、その力を持っています。

私は、クライアントの方々のプロセスから、どれくらい学びを得たことか。

大人になって、セラピストになって、自分と向き合うことを、一生していくことが義務づけられて、ようやく表面化できるようになった感情の数々。
(逆に、私がクライアントだったら、このプロセスを自ら日々体験しているセラピストを選びたい。)

昨日の、日記を書き終わったあと、肋骨の持ち主である私に、「ようやく気がついてくれたの?もういちど、最初から痛がっていい?」
そう、言っているようでした。
骨の痛みがあるから、咳とたんが出たいのに痛くて出せない、冷や汗が止まらない。眠れなかった。
ロルフィングの情報も、たくさんの方々からいただきました。
本当に、ありがとうございます。

「許すはよし,,」ふむ〜。
この言葉を書き残した偉い人は、ここまで、人生を達観するのに、どんなに大変なプロセスを体験してきたことでしよう。私は、このえらい人の、プロセスに興味があるな。どのようにして、ここに至ったのか。
 美しく、濾過されて残った言葉よりも、そこに至までの生き方に、とても興味がある。え?変かな?私。

人間の本能として、感じないようにしてきた、痛みや感情を感じる、というあたりまえの練習あたりで、神様、お願い、もう少し、私をうろうろさせてください。
まわりの景色も見たいし。

 痛い体験を、紙から切り取って、ポイって捨てられるように、無かったことにできたら、本当にいいのにね。

 戦争もそうだけど、肉親や他人から受けた、心や身体的な虐待を、癒しを得ずに、忘れることができるだろうか?
 
 私は、人を許せる準備ができるまでには、時には、膨大な癒しの時間を与えられる必要があると思っている。
 孫子の代まで癒しの時間を必要とすることだってある。

 「今は、許せなくてもいいよ」と、まずは、相手を許せない気持ちを正直に感じることを、自分に許してから癒しが始まるようにも思う。
 だって、とっても痛かったんだもん。

  そして、もうひとつ、私は、「家族を憎む権利」を主張しているのではない。
でもね、たとえ、主張していたとしても、それは、何故いけないのかな?
私は、家族を、恨んでいるのでもない。「そんなことされて、悲しかったよ。」「悔しかったよ」「痛かったよ」と、言っているの。
 そういう意味では、「痛かったよ」と、当然感じてもよいし、そう言ってもよいという人間の尊厳をもっている。
 
 それが、過去のこと、昔のことであろうが、関係がない。
今、その人は、その人の人生の中で、無いことになんかできないんだから。
 そうそう、過去生催眠では、現世における痛みが、何代も前の体験からきていることだってある。

 私は、クライアントにも絶対に言わない。
「そんな昔のこと、早く忘れなさい」「許しなさい、楽になるよ」などど。

そして、今ある、本当の感情と、自分を切り離さないでと伝えます。

本当の感情に罪悪感を感じたり、感じないようにしたり、自分を分離させたり、
そうすることによって、別の痛みが生じるから。

私は、人生の変容の旅の中で、痛みと向き合う自分を励ましたい。
 だって、私の旅だもの。

『許すはよし、忘れるはなおよし』えらい人の言葉...。

もしかしたら、今生では達成しないかも。
歌うために、何度でも、生まれ変わってきたいし。


●お兄ちゃん、覚えてる?私にしたこと。

このところ、ずっと、私自身のプロセス日記になっています。
いったい、過去に何があって、その記憶が今の私の人生において、どのような思い込みや、恐怖や、不安を作っているのか、今ようやく解決できる時が来たのだと思います。自分から逃げずに向き合ってみよう。
長い旅の途中です。
肋骨が痛い...

骨が痛みを記憶している..
これって、そういうことなのかな。
ロルフイングという治療があるでしよ?まさに、こういうこと?

私、小さい頃ね、住んでいたアパートの前で3つ上の兄とパレーボールをしていたの。
そこに、突然、自転車でつっこんできた私の同級生。
ハンドルが私のみずおちに入り、私は転倒...
そのまま息が出来なくなり、意識朦朧。痛みと、呼吸困難で、倒れたの。
そしたらね、私の兄は、こう言ったの。
「みっともない!バカヤロウ!立て!声を出して泣くな!すぐに立ち上がれ。」と。
そして、私を蹴った。
「うう、息ができない...苦しい。」
「そんなもん、関係ねえんだよ。バカ!みっともないから、痛くても声を出すな。」

これって、どういことなのかな?
痛くても、痛いと言うな。みっともないから、泣くな。
誰の都合?息もできない、痛いのに、それを、みっともないから、訴えることもするなというの?
助けてと、言ってはいけないということ?死んじゃうじゃん。私。

小さかった私に、選択は無く、兄の言葉に従うしかなかった。ぶたれると痛いから。
私ね、力ふりしぼって、兄の罵倒に従って立ち上がった。
泣いてもだめ、痛いと言ってもだめ。苦しいと言ってもだめ。

だいじょうぶか?とか、痛くないか?とか、医者にいくか?
とか、そういうことは、全く出てこないわけよ。
バカ!は出てくるのに。

自転車で正面から、私の体につっこんだ、その子は、あまりの事態に驚いて、
真っ青になって、泣いて家に帰ったの。

私は、意識朦朧のまま、たちあがった。
兄は、私を抱き起こすでもなく。私に、こう言ったの。
「おい。家に帰る前に、あの子の家に言って、自分が悪かったと、
誤ってこい。自分は、なんでもないと、おばさんに言ってこい。」

え?なんで?なんで?
息ができないし、空気が体に入ってこないし。
私は、被害者でなのに、
なんで、私が、謝らなきゃいけないの?

「いいから、言ってこい。めんどうなことになる前に。」
ねえ?めんどうって何?めんどうって何よ?
と、今なら、きけるのにね。
動けず、苦しそうに停止している私に、兄は、こう言ったの。

「いいから、いけよ。いかないと、ぶっとばすぞ。それにな、このこと、お母さんに絶対に言うなよ、バカ!」

お母さんに言うなって、兄は、何が、怖かったのかな。
私のことなんか、どうでもよかったわけ。

めんどうなことになることを避けられれば、私の体なんか、どうなってもよかったってことでしよ。

お兄ちゃん、一緒に来てよ、と、お願いしたけど、
「なんで、俺が行くんだよ。お前、ひとりでいけよ。わかったな。オレは、先に帰る。」
なんて人だろう?

私は、泣いて家に帰ったその子に、何を謝ったらいいのかわからなかった。
私は、全然、大丈夫じゃないのに、「あの..ゆうちゃんに伝えて下さい。私は大丈夫だから。心配かけて、ごめんなさい。」

突然、私が訪ねていったから、一階に住んでいる、その子のお母さんに、きょとんとされたまま、そして、それにも、どうしてよいのかわからなくて、私は泣きながら、3階の部屋に戻ったんだ。
痛みと、息ができないのと、この混乱した状況に思考停止したまま、
布団の中で、動物みたいにうずくまった。
ごはんの時間がきても、ふつうの顔で、普通に食べて、普通に眠ったんだっけ。

どうして、私が、謝らなければならないの?おかしいでしよ?
でもね、その時は、兄の変な命令に従うしかなかった幼い自分がいたの。

その後、とにかく、2か月は、痛くても痛いと言ったらいけないという決意で、
痛くても、呼吸困難でも、母に知られてはいけなくて、体育を休むことなく、
普通の顔をして過ごしたことだけ覚えているの。

今から、20年くらい前かな、ツアーでね、熊本のホテルに滞在したときのこと。
お風呂に入っているときに、すべって、右肋骨を折ったんだ、私。
救急車で運ばれ、翌日、飛行機でもどって、慶応病院でレントゲンをとった。
「佐藤さん、打ったのって、右ですよね。でもね、左が折れた後があるんだけど。
肋骨折った記憶ってある?」
医者に言われて、びっくりした。
そういえば、なんで、私の肋骨は左ばかり大きいのだろうと、思っていた。
レントゲン写真をみたら、折れたところが、太くなっているのがわかり、びっくりした。
あの時の...アレだ。って、そのとき、初めてわかったの。

「すごく、痛かったんじゃないの?覚えていないの?治療しなかったんだね?」
そう言われて、それくらい大変な骨折だったんだって、そのときわかったの。

私..そのとき、涙も出てこなかったの。にかわ質で、頑丈に太くなり、変形した自分の骨みて。あまりのショックに。確かに、折れてたんですよ。ボキっと。ちょっぴりずれてくっついて。

「みっともないから、痛いと言うな、泣くな、苦しくても立て、もめごとになるから、母に言うな、加害者に謝れ。」

兄の言葉が、ぐるぐる頭の中をめぐって、混乱した。
私の兄は、覚えているのだろうか、この出来事。
兄には、絶対に忘れて欲しくない。
できれば、謝罪して欲しい。
絶対に、彼はそんことを、認めないだろうけど。

マイアミから帰国してから、受けたBBSHのエネルギー・ワークを通じて、
新たな心の傷が、表面化され、その時間の中に座っているわけだけど、
今ね、私の体が、カウンセリングを受けて以来、傷と向き合う準備ができたようで、
骨の記憶を思い出していて、おとといは、左肋骨、昨日は、右肋骨。骨と筋膜がとても痛くて、息ができなっかった。ロルフイングという治療を、聴いたことがあるのだけれど、
どこかにいい先生いないかな。
 私ね、首にも、あるの。こういう痛みのトラウマ。
このさいだから、ゆっくりと、心と体を、トータルに治療してみたい。

今日は、久しぶりに晴れて、気持ちよかったね。
落ち込んだ気持ちを、太陽に当て、海水に足を浸し、自分をチャージをしました。

ほんとうに、長い、長い旅になるな。心の旅。


2008年6月23日

●いい人やめた

今日もなんだか、プロセス中。
涙が、発作のようにあふれてとまらない...。

でも、食欲だけは、あり。
テラスのバジルがもりもりに育ったので、遅いブランチは、バジルと松の実&ニンニクのペーストでパスタ。

タコのマリネ、数日前に作った夏野菜のラタテユーユ(これ、3日目も抜群にウマウマ)
ごきげんなブランチですが...一方で、まだ、めそめそ中。

昨日からの引き続き...BBSHの同級生と話をして、
今の自分の気持ちをシエアしてもらった。

「あなたに不快な思いをさせた人、生死にかかわる危機を与えた人に対して、あなたのこと嫌いって、言ってもいいんだと思うの。」
そんな風に、言ってくれた人、今まで、ほとんどいなかった。
人に対する好き嫌いがあることはいけないことだって、
教わることの方が多かったものね。

BBSHの先生や、同級生の励ましに、肩の荷が降りた。

不快感を与えられた人にさえ、うまくやっていこう、仲良くしよう、相手を理解しよう、私は、人を嫌いになってはいけない...そんな思い込みが、
自分を苦しめてきた。
全ては、「自分を産んでくれた母を嫌いになってはいけない。」
そんな本能的な思い込みに帰る。

いい人やめた。

まだ...続くかな、私のプロセス。だいじょぶ?こんな日記で。
私は、弱いし、完璧じゃないし、今だに解決できない、痛みをたくさんもっているの。


2008年6月22日

●BBSHのプロセス

BBSHのプロセス

時差が治りません〜〜。

いけない、目覚めたらまた、午後2時。
なんかぐちゃぐちゃだな...。
毎日、雨だから、ちょうどいい。
自分の中に優しくこもる収縮日。

昨日は、私が、バーバラ・ブレナンの日本校の先生からプロセスを受ける日。
今回は、私の憂鬱の引き金になったある出来事をテーマに。

「この感情、今回のことだけじゃないですよね?前にも、ありましたよね?そこにもどってみましよう。解決できていない感情が、まだまだたくさんあるのかな?」

第3チャクラの前と、後ろに手を添えられた瞬間、号泣!ゲロゲロ〜〜絡まった人間関係ののコードが、引きちぎれんばかりに、外に出され表面化された。

「自分より目立つな!」
「あなたなんかに、負けない」
「私の方が、あなたより上」
「私の能力に、降伏しなさい!」

地面にぐいぐい、力で顔をねじ伏せられるような、言葉の力。
私は、過去、何人の同性から、そんなエネルギーの毒をもられてきただろう。
お腹のあたりに、腐った匂いのする湿り気をおびた綿のようなものが、継続して存在し続けるあの嫌な感覚。

セッションでは、妬みによる虐め体験の記憶にフォーカス。
苦しかった。
正義が正義で通らない出来事。裏切り。権威によるコントロール。正直でいたために、誰かに陥れられた体験。
 思い起こせば、幼、小、中、高校、社会に出てからも、ずっとあった。
「そんなことして、お前ら、バカじゃないのか?自分が惨めにならないのか?」(ごくせん風になってる?)と、相手を心の中で笑いつつ...気丈に通りすぎてきた。

 その一方で、先生から、ヒーリングを受けた瞬間、感じないようにしていた、その悔しさや、怒りや、悲しみが、エネルギーになって、たくさん出てきた。
波みたいに、何度も、何度も。涙、ぼろぼろ。
(すごい、これが、授業でやるWAVEっていうことなんだ)

BBSHのセッションは、エネルギー・ワークなんだって、すごく思った。終わったら、もう、ふらふらになっていた。
足が震えちゃって、うまく歩けない。

自分という入れ物に、シエイクされた感情が、まだうまく収まっていない感じ。
私は、今、とても、繊細な気持ちになっているのだなと思った。

横浜を出て、港北で温泉に入り、指圧を受けた。
その後、家にもどり、まだ残っている感情を、枕でベッドをたたいて、出した。
 あ〜すっきり。感情って、エネルギーなんだな。本当に。

うう..起きたら、背中が極度の筋肉通...。
すごく痛いけれど、自分という体の持ち主が、自分であることと、今は、しっかり感じています。

 
 


2008年6月20日

●好きなことしかしない、収縮日の一日


収縮日の一日


帰国から数日は、収縮日...。自由業のいいところですね。時差や体調の調節日とでもいいましようか?ゆっくり休もう!と決心し、お休みだ!とおもったら、うれしくて、朝7時に目が覚めました。
 テラスのトマトはたわわに実をつけており...収穫の頃は、私またいないから、鳥さんにお裾分けな感じかしら?
 小松菜の根っこを出発前に、いたずらに植えておいたら、深緑の葉っぱがもくもくとのびていて、びっくりした。味噌汁の具くらいは、楽しめるかしらん?
 朝から、お掃除して、ご飯炊いて、納豆&ハラス&ほうれん草のおひたし&味噌汁!うまい!日本人でよかったと思う瞬間です。
 ホテル滞在中も、eponicaに書いたように、ホテルでは毎日、ごはん&味噌汁。お昼は、おにぎり。和食の自炊。マイアミにいた時は、「そんなに恋しくないな、和食」と、思ったりしていたけど、帰国して、食材が手に入ると思うと、あれも、これもと、食べたくなるものですね。
 今日は、心から、収縮日。鎌倉あたりまで、ふらりと、くりだすという一日になりました。何もしない誓いというのは、快適ですね!前の私だったら、そういうことにすごく罪悪感を感じ、今やらなくてもいいような仕事なんかを、始めたりしていたのにな。うん。今は、すごく自分にやさしくできている気がします。楽しいことしかしないんだから。
 前からタクシーの運転手さんから評判を聞いていた小坪漁港でとれる、ゆでたての地ダコをゲット。そのまま足をちぎってパク!(ちょいとグロテスクな絵ですが..)うまうまですよ〜。ほどよい塩味。帰ってから、ゆず胡椒&オリーブオイル&ワインで、いただきました。最高!でした。
 その後、鎌倉の長谷あたりを散歩。ふと立ち寄った、お寺に、全国から集まったあじさいが、お庭に並べてあって、そんななか、長野県の伊那産の、「くれない」というあじさいにいたく感動。知らなかったな。
 お花はそんなに大きくないけれど、とても可愛い。紅色のほどよいグラデーションが、とても素敵。何かと、ご縁のある長野県。私は、その色を見て、何を思い出したのかな...?とても愛着のある色に思えました。全国各地に、こんなに多種のあじさいの花があるなんて知りませんでした。
 その後、大船の温泉にて、ふにゃけ〜〜〜。あっと、言う間に2時間がたってしまいました。寝湯では、時差がピークに達し、30分ほど眠ってしまった。
 今日は、そんなふうにして帰国一日目を過ごしました。
沖縄は、32度ですって?いいな..ふらりと飛んでいきたいな。
 


2008年6月16日

●わ〜い!3年生に無事進級が決まりました。

2年生!無事、合格しました。

成績表が配られました!無事、ALL PASS!
10月から3年生です。今日まで助け合いながら頑張ってきた、仲良したちも一緒に進級。
そして、3年生に登録してきました。先輩たちの話を聞くと、3年生は、もっとおもしろそう!
 なんだか、この2年、とても早かったな。
いや〜ほんとうに、よく頑張ったと思うよ。自分でも。いちばんきつかったのは、宿題かな。
ふだん、人からあまり聞かれたことのないような質問の山に答えなければならない。しかも、Healingの間に起った、心と体の変化が、自分の過去の傷とどのように関係しているのかとか、そういうことを具体的に自分と向き合っていかなければならず、とてもきつい。「こんな質問?なんのためなのかな?」なんて思っていたんだけどね。
 だけど、あらら?不思議。クラアントと自分との間に起る反応は、相手から情報を引き出す強いツールになっていき、Healingに生かせることを、BBSHで初めて体験したました。
 私たちが家族との間で体験してきた様々な出来事、それによって感じた感情の記憶。心の傷。これは、負の体験ではなく、全てギフトなんだって今は、少し、思えるようになったの。
 私の心の中には、そのギフトがまだまだ埋まっている。いくつかの前世の記憶にも。一生かけて、発掘してあげないとと思う。その宝物。心に刺さった嶮は、長い時間の間に錆びているかもしれないけれど、抜いた後、磨いて研いであげたら、今度は、人の役にたつ道具に再生させてあげられるかもしれないね。私の中では、こんなセンスかな。

 2年生は、自分とは関係がないと思っていた防衛システムを、知らないうちに自分が使っているってことを、人から気づかされたり、夢でそれに関連する記憶を、思い出したりして、日々驚きがあったな。

 「光の手」上下「癒しの光」上下に具体的に書いてあるので、興味のある人は是非読んでみてください。

 もうじき日本に帰るけど、私は、7月から、解剖学の授業で、今度は長期マイアミにもどります。昔から、人間の体には、とても興味があったの。体育大学では人体生理学とか、そういうのは勉強したことがあった。筋肉の名前や、形、構造がわかると、触った時の自分の体が、イメージでなんとなく見えてくる。もう一度、当時の教科書みてみようかな。
 今から勉強するなんて、あまりにチャレンジですが、人の体を大切に取り扱う代替医療の勉強には、欠かせない知識になると思います。
私は、地球の子供。地球の子供である私たちの体と心を望ましい状態に再生させるということは、
同時にマザー・アース、地球に所属しながらにして、地球という体をHealするということになるんだって、
信じているの。BBSHで学んでいることが、Healingや、自分が作る歌の歌詞に作る意味が織り込まれるようになってきたことや、ヒプノで個人として誰かにお目にかかること、全てつながっていることを、実感する日々。
Native Americanのユーロックの人たちが言っていた。「自分達が存在することそのものが、地球のバランスを保っていることなので、僕らには、自然を保護するという言葉がないんだよ。」って。
世界遺産の番組でアメリカの国立公園を取材したことがあったけど、全て意味があったんだな。(「満ち行きて」は、東海岸から、西海岸へ移動するセスナ機の中で作ったんだっけ)マナティーと泳いだエバーグレース国立公園なんか、今、滞在中の場所からとても近かったりするし。
私という人間が、生まれてきたことで、地球に還元できる人間でありたいです。その循環の中に存在する小さいけど大きな自然になりたい。

 


2008年6月15日

●出る・引く・聴く・見る

Ceremonyは大成功!

 卒業生を送るために行われる在校生によるCeremonyが無事に終わりました。
国際色豊かなBBSH。お互いの文化も違えば言葉も違う。時間もない中で、本当に素晴らしい作品となりました。「なんとかなる」は、本当になんとかなった。というか、なんとかしたって感じ。こんなに楽しい結果になるなら、来年は、もっと早めに準備をしましよう!特に、Lower Selfのパートは、直前まですったもんだしていたのに、最高だったな!自分の中で自分と分離しているネガティブなパート。本番に至る間も、それぞれのLower Selfが噴出して、とりまとめるのに、同級生が本当に苦労していました。まさに、そのもののパワーが入ったせいでしよう。パフォーマンスとコントの2部構成で作られた作品の中で、大暴れのみんな。そして、コント中、宮川雅彦さんの日本語によるアクションに、アメリカ人も抱腹絶倒。翌日あちらこちらで、「素晴らしい、コメディアンだね〜」と、声をかけられていましたね〜。皆で、「彼は、リアル・アクターですよ!」と、説明すると、納得の模様。英語全くしゃべらない人なのに、何故か、授業中から、笑いをとってみんなをなごませている宮川さん。MUSIC&DRAMAのセラピストでもあるわけだけど、猿之助さんとか、欽ちゃんとか、こまつ座での舞台の体験がある。本業は俳優。彼は、来年、某芸術大学の演劇の先生にもなっちゃうけど、アメリカでの活動も彼のキャラだったらいけるんじゃないかな?
 とにかく、無事終わってなにより。Class5は、丸一日勉強と、この制作で追われていて、部屋に帰るとバタンキュ。
 たくさんの人たちと何かを作っていく時に必要とされる、人間関係のスキルを、
実践で学んだ感じがしました。自分が、出るとこ引くとこ、そして相手の言葉を聴くとこ。全体を見ること。う〜ん。深い。


●許せないのは、もしかして?

許すということについて

「許す」ということが、自分の中でどのような感覚があるかを、クラス全体でシエアする時間があったの。
 きれいごとの中で、よく使われる言葉。
「許しなさい!そしたら、救われますよ。楽になりますよ。」
「ほどこしを与えなさい。救われるために。」
それも、変な話で、じゃ、救われないんだったら、許さなくていいのか?与えなくていいのか?いつも、変な言葉だな〜って思うの。
条件付きだから。

相手を許せなくて苦しんでいる人に、「許しなさい」なんて、私は絶対に使わない。
私がクライアントだったら、カウンセラーに、「そんなにひどい奴、許さなくていい!」って、言われたい。
「禁煙できないんです」って人に「なんで禁煙しなきやいけないんですか?」って、言ったら、「そんなこと言われたの初めて。やめなくていいんですか?」
って、聴かれたから、「どう思う?」って聴いたら、そのクライアントの人、次のとき、タバコやめてたの。あれ、不思議だったな。
話は、それたけどね、
許したくない感情になるような出来事に、解決されていない問題があるうちは、無理。
クライアントの痛み、苦しみの根本原因を探して、感情を外にださなければ、解決はしない。そうでなければ、根本的に救われたことにはならないと思うの。
 
 という意味でも、今日の話は、すごくおもしろかった。
私は、皆のしゃべってる英語の内容がよくわからなかったので、クラスメイトのアキちゃんに通訳してもらったところ、第三チャクラが痛くなった。
 「許すこと」とって、それぞれの感覚の中で、本当にいろんな思いがあるんだなって思った。「許したら負ける気がする」とか、「許したら、また、同じことをされる」とか。それは、起っていないことに対するイメージなのかもしれないけど、確かにあるよね、そういう恐怖や不安。
 私の中の許しの感覚は、今、ちょっと妙な状態にある。
佐藤家のパターンなのだけど、問題の本質にさしかかると、いつものまにか、相手が、すごく感情的になって、話題を別回線にすりかえて、瞬間的に、その問題と全く関係のない論点へと移行。
「栄子がいかに悪い人間であるか探し」になって、「そういえば、あのときも、お前はこうだった、ああだった」と、そうなるの。それに意見したり答えていたりするうちに、最初の問題がなんだったのか、よくわからなくなる。
 怒鳴る、威嚇する、話を歪曲させる。こういう相手には、まともに接しても話ができないから、「私が大人になればいいんだから...」と、小さい時から、ものわかりのいい人になることを自分が選んできた。
不毛な会話です。後味も悪く。それでも、相手には許されないのにね。そして私は、自動的に謝る。その癖ってなかなか治らない。

 私の中にある「許さない」というテーマだけど、そういうわけで、「私は絶対にそういうあなた達を許さない」という気持ちは、結局、どこにも使いどころがなく、ポツっと存在してて、寂しいのだということに気がついたの。
 おかしな話でしょ?
 相手は、私から許されるすも許されないも、別回線で、別次元で存在してるから、そんなことまったく考えてもいない。
 
 自分を受け入れられたいと思うあまり、つい謝る。本当の気持ちじゃないのに、真実の自分を分離させるとき、怒りが出る。この怒りは、相手に対してというよりも、もしかして...自分に対してなのかな?

 私は私に言おう!許せないのは、自分自身なんじゃないのかな?

ということに、気付かせてくれる家族関係は、本当に大変なんだけど、「混沌の中にも晴れた空があり」とは、まさにこのこと。(あきらめたくない、の詩だったかな?)
ある意味、私は、この家族から、本当に恩恵をたくさんもらっていると、思うのです。

あ、ちょっと、今日も、それに気がつけて、救われた。
それに気づいた自分を許したら、救われた。


 


2008年6月13日

●便利に使うなよ、その言葉!

Class 5 1日目

卒業生を送るためのセレモニーが今週末開かれます。
学年がそれぞれで、何か、パフォーマンスをするんだけど、昨年の2年生は、素晴らしかった!オズの魔法使いにBBSHの授業内容をたとえて繰り広げられるミュージカル!素晴らしい役者がそろってた。
今年の2年生、何をやるのかなかなか決まらず、すったもんだ。「誰がやるの?え?私?」音楽はEikoがやって!?と、自動的に話が回ってきて、4エレメントの音楽については、私が作ることになりました。
 テーマが3つに別れており、2年生の持ち時間は30分。私のは、4分ほどの小品だけど、なかなかいい感じです。この音楽に、水、風、日、土という設定で、ダンスがつきます。私は、この中の土のパートに、いつか何人かでやってみたいと思っていた、ピグミーのポリフォニー的なVOICEをボランティアを募って歌ってみるつもり。
 昨日、はじめてリハーサルがありました。
 裏方の仕事も楽しい!もしかしたら、コツコツと地味になにかに凝ったものを作って、それが、誰かによって、ステージで再現されるのを見るのも好きなのだと思う。
 Year 2のテーマは、人間関係。まさにふさわしい、共同作業の現場でした。
今回の私たち、自己主張をちゃんとできる人がたくさんいると、いろんなアイディアが出る一方、誰もまとめる人がいない...。要するに、現場監督がひとりもいない。だから、正確な情報が誰からも出てこない。
 う〜ん...いったい誰がやるんだよ?結局、それぞれの持ち場で、いろんなこと決めていかなきゃいけないようになったものの、そのそれぞれが、互いに連絡がとれておらず、
もう何がなんだか?最終的に、この作業ができるのは、日本人チームしかおらず、BBSH同級生の宮川さんが、MACを駆使して編集することに。
3つのパートの音楽を、最終的にどうつなげるのかという話も、つい今日確認ができたところ。
 プロのエンターテイメントに関わる仕事をしている生徒は、学年で知る限り、3人。皆、20年〜30年近く舞台のプロとしているから、皆は気楽にアイデイアを投げるけど、それを、実現させるのに、いかに現実的にいろんな作業が必要か、あまりわかっていない。私は、それに、ハラハラドキドキ。「いいじゃん、適当で!私たちのインテンションでなんとかなる!」って、こんな時に、便利に使うなよ、覚えたてのその言葉!(は?と気がついた。私って男言葉多いよね...)
 でも、一般の人たちと混じって、作るものだから、別に完璧でなくてよい!というゆるいところもあるのが、専門職にとっては、唯一の救い。(まさにリジットの私にとては、Healingのようなプロセスだな!)
 しかし、そうなると、国民性なのか、日本人チームは、できるだけ、きれいな仕事をしたいという心境になる。
 自分の音楽については、あまりによい出来なので、ゆくゆく作品としてリリースできるように、しっかり音楽を制作。(無駄にしないよ〜大切な私のエッセンス)
だから、下地はしっかり作った感じです。
 表現者がイメージをかきたてられて、踊れて、コンセプトがはっきりわかるもの。そんな感じて、音楽を作ってみました。(これも、いつか聴いてね。)
昨日、初めてRHがあったんだけど、4エレメントのパートについては、大満足!シンプルなダンスだけど、すごく奇麗でした!VOICEのボランティアも10人くらい集まった。
 日本人のエコロジカルなメンタリティーも、ものすごく生かされた人間関係になったように思いました。
 この学校では、人間として、安全にいろんな体験しています。

 


2008年6月10日

●こういう私を変えたい


Year2 学年末 Class 5 マイアミです


2年生はとても早かったな...。あっと言う間だったような気がする。
1年生の時の私の変容プロセスはヒプノのトレーニングの時を遥かに超えた体験だったな...あんなにカウンセリング受けたのに、まだ出る出る。
 過去の日記を読み返してみてもわかるけど、BBSHは、自分が気付いていない意識より深い筋肉や細胞に記憶された痛みや傷までをみつけにいくような授業をするから、大学にいる間は泣きっぱなし。「私は、あの時、とても痛かったんだ、痛かったって感じていいんだ。なのに、どうして、私が誤らなきゃいけなかったの?」って、ここに来て、初めて心底、自分という人間の存在を許された感じがしたの。そんな一年間。
 そして、2年生のテーマは、人間関係。
 私は、家族や、異性との関係性について、深く見ていたように思う。
男性との人間関係におけるモデルというのは、家族の中の男性でしよ?
父はスキンシップもしてくれた。私は父から「愛されていた」という体験を心のどこかで信じようとしていたことに気付いた。
 そうしたかったのは、唯一、母がいない場所で、父と私とふたりでいるときは、私を尊重し、認めてくれたから、父とのそういう時間は、私にとって、とても大切な思い出だったからなんだと思ったの。

 私の家はね、「そこまで言うか?」というくらい、家族全員が、互いにモラルハラスメントなんて、あたりまえのことだったの。やられっぱなしでないところが、私の強いところだけど、その不毛感や、普通でない違和感については、兄よりも、他の誰よりも社会に早く出た私が知っていて、大人になってからも覚めてみていたと思う。
 我が家は、普通の会話ができないの。会話は常に大声だし、けんか口調。誰かが、誰かに、「ごめんなさい」と言ったところを、聴いたことがない。きっと、あんなに戦っても、誰も根本的には勝てないんだろうな。だからかな、不毛感と、後味の悪さが粘着質のように引きずるの。
 
 我慢ができても、我慢ができなくても、いいなりになっても、そうでなくても、
家族でいる、居方が私には、まったくわからなかった。どんなわたしなら、受け入れてくれるの?どんな私でも、正解じゃないから。

 そんなところがあるから、怒りや、悲しみを押さえるために、第2チャクラを停止させ、背中の筋肉を使って、「傷ついてなんかいないふり」をするのは得意になっちゃったじゃないの...。決して健康的ではないね。
 ヒステリックに声を荒げ、言葉のトリックを巧みに使い、相手に罪悪感を感じさせる形で、自分の正当性を主張する。しらないうちに、こちらが悪いことになっている。そういう我が家にいた異性的な会話の仕方をする人が大嫌いなんだけどね、
 私は、そういう人間関係の中に遭遇したとしても、克服したいと思っていることがあるの。
 そういう相手から、相手がそのつもりもないのに、私は、自分が勝手に責められたと感じているようにふるまうことがあるらしい。電車の中で、大きな声で偉そうに話してる人の声とか聴いたりすると、ムカっときてる。完全なる感情の転移。(自覚症状あります。笑)そういうの、やめたい。
だって、相手は、父や兄じゃないんだから。Class 5はリジット・デイフェンス。まさに、私のこと。
 
 出発前ぎりぎりまで、「ほんとうはね」(タイトル仮)という歌を作っていたの。詩を仕上げるのに、1年もかかった。本当の気持ちが日々変わったから。どんどん飾りを脱いでいったら、ほんとうの気持ちだけが言葉になって残った。誰かに聴いてもらうための歌というより、自分が自分のために歌うための歌になった。
本当の気持ちに嘘がないように、何度も、何度も書き換えてたの。
作品を作るって、本当に自分のプロセスだね。自分と向き合う時間そのものだなって思った。いつか皆に聴いてほしいな。
 そうそう、今回、eponica43号の原稿も半分以上仕上げて出発したよ。
私!偉い!いい子、いい子!


2008年6月 8日

●小坂忠さんとのひととき

小坂忠さんのLIVEを聴きにいきました。
もちろん!お客さんとして。

素晴らしい!泣きました...私。『機関車』という曲.
魂を揺さぶられました...

この歌の本当の意味を知ったら、70年代の日本...放送禁止なんかに、できないはず。

私は、ずっと『愛』について勉強中なんだけど、これくらい人を愛したことがるのか?私!?
そんな問いかけが怒濤のようにおしよせ、
「いや...まだ知らないのかな..でも、泣くということは、体験したことがあるからなのだろうか?」
なとど、小坂さんの歌を聴きながら、後ろの席で泣きましたよ。

実は、小坂さんのLIVEがあることを知ったのは、9月のSTBで、センチのメンバーのスケジユールチエックをしていて、
わかったことなのですが、まだ、私が10代だった頃、彼の名前や活動は、なんとなく知っていたものの、
初めて生で歌を聴き、魂,,震えました。

そして、この日のメンバー。
私がデビュー当時、お世話になったベースの富倉さん、ドラムはユカリさん、ギターは鈴木茂さん&センチの中野さん、細井さん、ゲストに金子マリさん&森園さん。
ね?ね?すごすぎない?
アマチュアの頃、あこがれだった人たち!本物の人たちなの!

でね、思わず、「飛び入りで、DOWN TOWN歌わせていただけないですか?」と、申し出たら、小坂さん快く、
受け入れてくださり、実現いたしました。
アンコールでは、一緒にステージに立たせていただき、もう...。
感動のひとこと!
本物の人たちの音は、はっきりいって、すごい!実力以上の私を引き出してくれるパワーがあります。
飛び入りなので、私、普段着ですが、もう、体活性化して、汗だく!

金子マリさんは、高校の頃から、『実』のある、シンガーとしてあこがれの的のひとりでした。
声に力があり、生で声を聴いたら、体の表面がビリビリした。
人を元気にさせるエネルギーのある方です。
初めてお会いしたのに、気さくにお話してくださり、もう!?どうしてらいいのか?夢?これ?
携帯の電話交換もしてしまいました。
本物の、人は、エネルギーがピュア!(ただのファンになってます)

そして、メインの小坂忠さん、BBSHセンスで見ると、第六レベル整理されてる人。
力強く、暖かく、繊細、謙虚な方。
祈りの人!
と、思ったら、一緒にライブに同行した、服部女史。
さっそく、情報を知らせてくれたのですが、なんと?
小坂さん、牧師さんでもあられるとか?

う〜〜ん、納得。

音楽で、神を説く。
まさに、そんな一夜でした。


2008年6月 4日

●あれは虐め?

連日、服部女史と9月のSTB139で行われる、POPなEPO企画で盛り上がってるの。
カウンセリングが終わって、連絡事項が終わると夜7時くらいかな。
さ!ひといき入れて帰ろう!って感じで、昨日はスパークリング・ワインを飲んでみた。
そしたら、なんか、いろんな話になったの。

小さい頃の話にさかのぼり、お互いに共通した体験を持っていることに驚いた。
虐められてる子と仲良くして、虐められた。

私ね、中学の頃かな。もしかして、あれって今から思うと、やっぱり虐めだったのかな?(のんきでしよ?虐められているって、それもわかんなかったの)
仲間で、なんとなく違和感もたれてる子がいて、私ね、その子とたまたま同じウインド・ブレーカー持ってたってだけで、皆に無視された。は?って感じ。

なんで、皆が、その人に違和感感じるのか、わたしにはよくわからなかったし、
個人としてつきあっても、私的にはOKだったから、お友達でいるわけなんだけど、
それに対して、なんだかんだ言う奴、馬鹿じゃね〜の?って思ってたけど、
だんだんそうも言ってられないくらい、私に対する無視や意地悪や、仕打ちが過激になり、
そういう奴らに憤りを覚えたな。
私、小学校からバレーボールやってたから、技術的にはかなり最初からできていたんだって思う。
一年で入部してすぐ、レギュラーだったの。
背も高かったから、アタッカーで、先輩にもかわいがられた。
そういうこともあって、同級生は、皆、あんまりおもしろくなかったのかな。
なんか群衆意識に参加しなかったから、嫌われた。
「なんでEPOが、レギュラーなの?」
みたいな流れがチームで起こり、「EPO、レギラーをやめてくんない?」って、同級生に言われた。
私、こういう人間関係、すごくめんどくさくなって、「わかった。それで、皆がチームとしてうまくいくんなら、やめる」
って、言って、顧問に「私、レギユラーおろしてください。こんな気持ちでチームに辛くていられない。」
と伝えたの。
そしたら、その日の、部会で、顧問が烈火のごとく怒って、
「なんで、お前らが、勝手にレギュラーやめさせたり、そんな意志を持ってるんだ!EPOはそのまま残れ。レギュラーのメンバーは俺が決める!」
私は、心の中で、うれしいよりも、「先生、やめてよ、ますます私、後でしんどくなる。」

案の定....
私は、完璧にチームの中で孤立。精神的におかしくなった。蕁麻疹をしょっちゅう出してた。
すごいストレス!あ〜めんどくせ!
女の世界!心の中で、ちゃぶ台ひっくりかえしたな。」

結局、私は、そこまでしてバレーやる気なくなっちゃったの。私、皆に「負けた」なんて思わなかった。
家でもしんどいのに、学校でもしんどいの耐えられなくなった。
スポーツが教えてくれるもの、充分に知ったから。
人間関係。NOという強さ。自分と向き合うこと。人は時々、裏切るけど、練習は裏切らない。
無理して、人間関係の痛みに耐えることは決して強いことじゃないんだよ!
むしろ、そこから学んだものは何か?得るものがあったら、その恩恵を受け取って、
次の新しい世界で、自分の価値観に合った生き方を選択する方が、
ずっと勇気のいること。

私、中学の頃の体験があって、運動部はこりごりで、入部しなかった。
かわりに、演劇やったり、音楽やったり。
あれがあって、また、今の私に続いてるんだな...
快適な人間関係のみ、追求し、今に至るかんじ。

理解しあえる人は、たくさんいたら、いたでいいけど、
ひとりでも自分を心から理解してくれる人がいたら、それってすごいことだって思うの。

だってさ?自分を生んでくれた親や、家族とだって、
わかりあえないことってあるのよ?