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2008年6月25日

●お兄ちゃん、覚えてる?私にしたこと。

このところ、ずっと、私自身のプロセス日記になっています。
いったい、過去に何があって、その記憶が今の私の人生において、どのような思い込みや、恐怖や、不安を作っているのか、今ようやく解決できる時が来たのだと思います。自分から逃げずに向き合ってみよう。
長い旅の途中です。
肋骨が痛い...

骨が痛みを記憶している..
これって、そういうことなのかな。
ロルフイングという治療があるでしよ?まさに、こういうこと?

私、小さい頃ね、住んでいたアパートの前で3つ上の兄とパレーボールをしていたの。
そこに、突然、自転車でつっこんできた私の同級生。
ハンドルが私のみずおちに入り、私は転倒...
そのまま息が出来なくなり、意識朦朧。痛みと、呼吸困難で、倒れたの。
そしたらね、私の兄は、こう言ったの。
「みっともない!バカヤロウ!立て!声を出して泣くな!すぐに立ち上がれ。」と。
そして、私を蹴った。
「うう、息ができない...苦しい。」
「そんなもん、関係ねえんだよ。バカ!みっともないから、痛くても声を出すな。」

これって、どういことなのかな?
痛くても、痛いと言うな。みっともないから、泣くな。
誰の都合?息もできない、痛いのに、それを、みっともないから、訴えることもするなというの?
助けてと、言ってはいけないということ?死んじゃうじゃん。私。

小さかった私に、選択は無く、兄の言葉に従うしかなかった。ぶたれると痛いから。
私ね、力ふりしぼって、兄の罵倒に従って立ち上がった。
泣いてもだめ、痛いと言ってもだめ。苦しいと言ってもだめ。

だいじょうぶか?とか、痛くないか?とか、医者にいくか?
とか、そういうことは、全く出てこないわけよ。
バカ!は出てくるのに。

自転車で正面から、私の体につっこんだ、その子は、あまりの事態に驚いて、
真っ青になって、泣いて家に帰ったの。

私は、意識朦朧のまま、たちあがった。
兄は、私を抱き起こすでもなく。私に、こう言ったの。
「おい。家に帰る前に、あの子の家に言って、自分が悪かったと、
誤ってこい。自分は、なんでもないと、おばさんに言ってこい。」

え?なんで?なんで?
息ができないし、空気が体に入ってこないし。
私は、被害者でなのに、
なんで、私が、謝らなきゃいけないの?

「いいから、言ってこい。めんどうなことになる前に。」
ねえ?めんどうって何?めんどうって何よ?
と、今なら、きけるのにね。
動けず、苦しそうに停止している私に、兄は、こう言ったの。

「いいから、いけよ。いかないと、ぶっとばすぞ。それにな、このこと、お母さんに絶対に言うなよ、バカ!」

お母さんに言うなって、兄は、何が、怖かったのかな。
私のことなんか、どうでもよかったわけ。

めんどうなことになることを避けられれば、私の体なんか、どうなってもよかったってことでしよ。

お兄ちゃん、一緒に来てよ、と、お願いしたけど、
「なんで、俺が行くんだよ。お前、ひとりでいけよ。わかったな。オレは、先に帰る。」
なんて人だろう?

私は、泣いて家に帰ったその子に、何を謝ったらいいのかわからなかった。
私は、全然、大丈夫じゃないのに、「あの..ゆうちゃんに伝えて下さい。私は大丈夫だから。心配かけて、ごめんなさい。」

突然、私が訪ねていったから、一階に住んでいる、その子のお母さんに、きょとんとされたまま、そして、それにも、どうしてよいのかわからなくて、私は泣きながら、3階の部屋に戻ったんだ。
痛みと、息ができないのと、この混乱した状況に思考停止したまま、
布団の中で、動物みたいにうずくまった。
ごはんの時間がきても、ふつうの顔で、普通に食べて、普通に眠ったんだっけ。

どうして、私が、謝らなければならないの?おかしいでしよ?
でもね、その時は、兄の変な命令に従うしかなかった幼い自分がいたの。

その後、とにかく、2か月は、痛くても痛いと言ったらいけないという決意で、
痛くても、呼吸困難でも、母に知られてはいけなくて、体育を休むことなく、
普通の顔をして過ごしたことだけ覚えているの。

今から、20年くらい前かな、ツアーでね、熊本のホテルに滞在したときのこと。
お風呂に入っているときに、すべって、右肋骨を折ったんだ、私。
救急車で運ばれ、翌日、飛行機でもどって、慶応病院でレントゲンをとった。
「佐藤さん、打ったのって、右ですよね。でもね、左が折れた後があるんだけど。
肋骨折った記憶ってある?」
医者に言われて、びっくりした。
そういえば、なんで、私の肋骨は左ばかり大きいのだろうと、思っていた。
レントゲン写真をみたら、折れたところが、太くなっているのがわかり、びっくりした。
あの時の...アレだ。って、そのとき、初めてわかったの。

「すごく、痛かったんじゃないの?覚えていないの?治療しなかったんだね?」
そう言われて、それくらい大変な骨折だったんだって、そのときわかったの。

私..そのとき、涙も出てこなかったの。にかわ質で、頑丈に太くなり、変形した自分の骨みて。あまりのショックに。確かに、折れてたんですよ。ボキっと。ちょっぴりずれてくっついて。

「みっともないから、痛いと言うな、泣くな、苦しくても立て、もめごとになるから、母に言うな、加害者に謝れ。」

兄の言葉が、ぐるぐる頭の中をめぐって、混乱した。
私の兄は、覚えているのだろうか、この出来事。
兄には、絶対に忘れて欲しくない。
できれば、謝罪して欲しい。
絶対に、彼はそんことを、認めないだろうけど。

マイアミから帰国してから、受けたBBSHのエネルギー・ワークを通じて、
新たな心の傷が、表面化され、その時間の中に座っているわけだけど、
今ね、私の体が、カウンセリングを受けて以来、傷と向き合う準備ができたようで、
骨の記憶を思い出していて、おとといは、左肋骨、昨日は、右肋骨。骨と筋膜がとても痛くて、息ができなっかった。ロルフイングという治療を、聴いたことがあるのだけれど、
どこかにいい先生いないかな。
 私ね、首にも、あるの。こういう痛みのトラウマ。
このさいだから、ゆっくりと、心と体を、トータルに治療してみたい。

今日は、久しぶりに晴れて、気持ちよかったね。
落ち込んだ気持ちを、太陽に当て、海水に足を浸し、自分をチャージをしました。

ほんとうに、長い、長い旅になるな。心の旅。

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コメント

これはまた壮絶な・・・
とりあえず思い出せて良かったですね。

刑法の上では時効になっているのかもしれませんが「傷害罪」に値しますね、これは。
実際そうするかどうかは別として、EPOさんにはお兄さんに対して民事訴訟を起こすぐらいの権利があると思います。

お兄さんは親御さんの価値観を受け継いでしまってたんでしょうか・・・

そう言えば私も子どもの頃、ベランダで花火をしていて、煙が肺に入ったのか息苦しくなったのでぜいぜい言っていたら母親に
「うるさい!」
と言われたことがあります(苦笑)
「大丈夫?」などの言葉はもちろん、ナシでした。

骨折の時にはギブスでしばらく安静ってのが定番なのに・・・。
病は気から!まずは心のギブスが必要かもしれませんね!

ロルファーの方です。

ttp://homepage.mac.com/snrolfing/index.html

遠いかもしれませんが…。参考までに☆

読んでて目頭が熱くなった

肋骨を折るほどの怪我をして
子供がいくら なんでもない振りをしても
親なら必ず気がつくはず
なんだか様子が変だと

エポが育った家庭環境

これまでもう一つ実感できなかったけれど
今やっと分かった気がする

あなたの痛みを ただ一緒に泣きたい

陽さんのおっしゃっている通り、通常の親なら
子供の状態はわかります。
それに気がつかないのは親が自分の体面その他諸々に
対応するだけでいっぱいいっぱいな状態。
お兄さんを擁護する気持ちは全くありませんが、
お兄さん自身も妹と一緒に遊んでいて直接でないにしろ
怪我をさせた事をお母さんから怒られる事を即座に思い、
なかったことにしようと思ったんでしょうね。
うちの家はよそから見てうまくいっている、という
体面を保つ為に親の曲がった基準からはずれてしまったら
それは子供が悪い事になってしまう。
大抵の子供は経験値がないんですから普通にしていても
間違えたり勘違いするのが当たり前。
それを繰り返して学習しながら正しい事を知っていく。
それが許されない家庭、しかも一番弱い立場の
epoさんに全部しわよせがいっていたのが
目に見えるようで、胸が潰れる思いです。
その家庭にあって混乱しながらもご自身が
今のepoさんを作り上げたのは驚異的なことだと
思います。
まさしくサバイバー。
心にも体にも傷を残してしまっていたのですね。
どうぞ、その傷が癒されます様に。

読みながら涙が出てきてしまいました。
とってもつらい体験をされていらっしゃったんですね。
私はこのところ、本当にいろいろなことがつながって
いるんだなぁと不思議な心地で、またこうしてepoさん
のホームページにもちょくちょく伺うようになりました。
「心の旅」を聴いて泣いたのはもう10年近く前のこと、
あれから、不可抗力の不運とか不幸に見舞われるたび、
また自分の抱えた重荷につぶされそうになるたびに、
あの歌を聴いて励まされてきました。
そして今、過去にできてしまった傷が、いろいろな形で
自分の生活に芽を出していることを感じています。
母親になった今は、子供達に自分が傷を作っているの
ではないかと、不安もあり、、、
心と体。抱えた傷も、癒やしていけたらいいですよね。
どうか乗り越えていけますように。

何年前の話ですか?
これほど辛い仕打ちを受けたのだから自分には肉親を憎む権利がある。
そう言っているようにさえ聞こえます。
ファンの皆さんに同情してもらったらその心の傷は癒えるのでしょうか。
いいかげん自分の辛い過去を顕微鏡や望遠鏡で覗くのはやめませんか?
ご自分のことばかりを考えすぎるのです。
もし今EPOさんの一番大切な人が例えば重病になったりしたら
そんな自分の大昔の悩みや苦しみは一気に消し飛んでしまうでしょう。
自分の過去を悲しんでいられるのは今が幸せな証拠なのです。
そんな今を感謝しましょう。

『許すはよし、忘れるはなおよし』 ロバート・ブラウニング

EPOさん
身内の事ではないのですけど、

小学生の時、友だちの男の子の蹴ったボールが手にあたり、大きくアザになりました。

何も言わない。笑っているだけ。当然謝らない。

本当は怒って良かったんですよね。
謝ってよ!
痛いんだよ!って。

でもその時私から出た言葉は、
「私のこと、傷つけて、悪いって思っているんでしょう?でもね、私は大丈夫よ。あなたのせいじゃないから」。

でした。

・・・・・涙がボロボロと溢れてしまいました。

心の傷をえぐられるような過去の出来事に向き合い、その出来事を言葉にするために思い出しながらキーボードをたたき入力している時、epoさんは涙をこぼしながら打ってるのではないでしょうか・・?

歪んだ親の価値観にお兄さんは洗脳され、自分を守ることの方が先でおびえていたのでしょうか。子供の頃は親が言うことが正しいと信じきっていますから。親も親で子供に対して自分が言うこと、やることは全て正しい、言うこと聞くのが当たり前だと思っていたのではないでしょうか。

しかし今は事の良し悪しは理解できるんですから今からでも間違ったことをしていたと謝罪してほしいものですね。
時間が経ってても今更なんてことなく、その行動を認め謝ってくれれば、長い間負っていた傷も少しづつ癒えるんですから。。

過去に受けた心と体の傷に向き合うなんて小さな火種を大きくして大火事になってしまいそうで、専門の方が傍にいないととんでもないことになりそうですね。

過去の出来事が本当に過去の「事」として
小さくなっていったら、また違う現実が見えるのでしょうね。それもまた楽しみですね!!
今のepoさんもその辛い過去があってこそのepoさん。だからこそ色んな角度から色んな事がみえる感じる人間味溢れる素敵な人なのだと思っています。

この数日、心も体もどっとお疲れなのではないでしょうか?
まだこの先、心の旅は続くのでしょうから大自然からたっぷりエネルギーをもらって備えてください!

私自身も逃げててはいつまでたっても自分が好きになれないと思いました。
長い心の旅、付き合います。
今、囚われてる思いから浄化されていきますよーに・・・。

辛かったでしょうね。
文章を拝見していて、
途中でため息が出ました。
今はとことん憎んでいいと思います。
許すなんてのは、後も後、ずっと後でOK!
別に許す「必要」もないですが、
もしかして、その気持ちになれば
そうなるだけの話です。
どんな心の状態も、すべて現実のEPOさん
なのだから、どうぞ、思いのままに。
EPOさんの長い心の旅の主役は
あくまでEPOさんです。
私はいちファンの傍観者にすぎませんが、
たまにこうしてお声がけさせてください。
きっと、実際にここに書き込みはしなくとも
ものすごく多くの人たちが
見守っていると思います。

何年前の話ですか?
これほど辛い仕打ちを受けたのだから自分には肉親を憎む権利がある。
そう言っているようにさえ聞こえます。
ファンの皆さんに同情してもらったらその心の傷は癒えるのでしょうか。
いいかげん自分の辛い過去を顕微鏡や望遠鏡で覗くのはやめませんか?
ご自分のことばかりを考えすぎるのです。

残念ながら上記の事を書く、
残念な方がいらっしゃいますね。
自分の過去を見つめ直す事で
トラウマを克服する事が出来るのですよ
もう少し人の気持ちを尊重しましょうね

あまりの悲しみに初めて書き込みをします。
読んでいて、私の胸も締めつけられるように苦しく切なく感じました。
 子供で骨が折れるほどの痛み、本当にどんなにつらかったことでしょう。きっと発熱とかもしていたに違いありません。病院もいかずにがまんして...。つらすぎます。可哀想すぎます。またそれ以上に家族からの言葉の暴力は追い討ちをかける残酷さですね。子供はやさしくされたい、家族に甘えたいと思うものなのに...。こんな書き込みも失礼かと思いましたが、少しでもEPOさんのお気持ち、痛み入りますということをお伝えしたくて。
 私は高校生の頃、FMラジオから聞こえる素敵な声がEPOさんという歌手なんだということを知り、EPOさんの歌でも、特に語りかけるようなバラードに元気をもらいました。
 いろいろな生活環境で、ぐれたり荒れた人生を送る人もいますが、EPOさんはコンサートの細やかな気配り、コメント等本当に心のやさしい素敵な人だと感じました。やはり人間どんな環境でも、その人個人の性格ですね。
 今でも前向きに海外の大学で学ばれて、セラピストの仕事にも幅を広げられ、同じ女性としても、尊敬しております。
 これまでのつらく苦しい体験が少しでも和らぎ、いやな記憶もうすらいでいくような日がくることを心よりお祈り申し上げます。
 
 
 

だと房わない◦