« お兄ちゃん、覚えてる?私にしたこと。 | 日記TOP | マユの中に入っています »

2008年6月25日

●私の旅だもの

 
自分の書いた日記が、たくさんの心に触れていることを知りました。
でね、これはお返事しなきゃと思い、昼間から書いているんだけど。

この日記は、あくまでも、私のプロセス記録として設けているコーナーなので、皆さんに、苦い胃液を、一緒に飲んでくれ〜その感想を書いてくれ〜などということも、全く要求しませんから、安心してください。

 でもね、同情してくださる人がいたとしたら、それもうれしいです。
私、ほんとうに、同情されたいですもん。
「大変だったね」って。「ひどい話だね」って、一緒に言ってくれる人が、ずっと欲しかったもん。それは、いけないことかな?

 個人のプロセスは、たくさんの人に、同時にプロセスを起こさせるエネルギーを持つことは確かです。
 学校でも、こういう時間をたくさん授業でやります。
 誰かのプロセスをもとに、自分の体や心にどんな変化が起るか。そして、そのエネルギーって、人のエネルギーにも、大きな影響を与えるんだなと、皆さんの真摯な書き込みを読みながら、今、私自身が、影響を受けています。
どんな人の話も、その力を持っています。

私は、クライアントの方々のプロセスから、どれくらい学びを得たことか。

大人になって、セラピストになって、自分と向き合うことを、一生していくことが義務づけられて、ようやく表面化できるようになった感情の数々。
(逆に、私がクライアントだったら、このプロセスを自ら日々体験しているセラピストを選びたい。)

昨日の、日記を書き終わったあと、肋骨の持ち主である私に、「ようやく気がついてくれたの?もういちど、最初から痛がっていい?」
そう、言っているようでした。
骨の痛みがあるから、咳とたんが出たいのに痛くて出せない、冷や汗が止まらない。眠れなかった。
ロルフィングの情報も、たくさんの方々からいただきました。
本当に、ありがとうございます。

「許すはよし,,」ふむ〜。
この言葉を書き残した偉い人は、ここまで、人生を達観するのに、どんなに大変なプロセスを体験してきたことでしよう。私は、このえらい人の、プロセスに興味があるな。どのようにして、ここに至ったのか。
 美しく、濾過されて残った言葉よりも、そこに至までの生き方に、とても興味がある。え?変かな?私。

人間の本能として、感じないようにしてきた、痛みや感情を感じる、というあたりまえの練習あたりで、神様、お願い、もう少し、私をうろうろさせてください。
まわりの景色も見たいし。

 痛い体験を、紙から切り取って、ポイって捨てられるように、無かったことにできたら、本当にいいのにね。

 戦争もそうだけど、肉親や他人から受けた、心や身体的な虐待を、癒しを得ずに、忘れることができるだろうか?
 
 私は、人を許せる準備ができるまでには、時には、膨大な癒しの時間を与えられる必要があると思っている。
 孫子の代まで癒しの時間を必要とすることだってある。

 「今は、許せなくてもいいよ」と、まずは、相手を許せない気持ちを正直に感じることを、自分に許してから癒しが始まるようにも思う。
 だって、とっても痛かったんだもん。

  そして、もうひとつ、私は、「家族を憎む権利」を主張しているのではない。
でもね、たとえ、主張していたとしても、それは、何故いけないのかな?
私は、家族を、恨んでいるのでもない。「そんなことされて、悲しかったよ。」「悔しかったよ」「痛かったよ」と、言っているの。
 そういう意味では、「痛かったよ」と、当然感じてもよいし、そう言ってもよいという人間の尊厳をもっている。
 
 それが、過去のこと、昔のことであろうが、関係がない。
今、その人は、その人の人生の中で、無いことになんかできないんだから。
 そうそう、過去生催眠では、現世における痛みが、何代も前の体験からきていることだってある。

 私は、クライアントにも絶対に言わない。
「そんな昔のこと、早く忘れなさい」「許しなさい、楽になるよ」などど。

そして、今ある、本当の感情と、自分を切り離さないでと伝えます。

本当の感情に罪悪感を感じたり、感じないようにしたり、自分を分離させたり、
そうすることによって、別の痛みが生じるから。

私は、人生の変容の旅の中で、痛みと向き合う自分を励ましたい。
 だって、私の旅だもの。

『許すはよし、忘れるはなおよし』えらい人の言葉...。

もしかしたら、今生では達成しないかも。
歌うために、何度でも、生まれ変わってきたいし。

トラックバックURL:

コメント

EPOさんがご自分の痛みと向き合うことはEPOさんにとって当然の権利です!!それを否定する権利は誰にもありません。

否定したくなる方は、ご自分自身の痛みと向き合うことを恐れているのでは?

私も妹に、ひどいことした記憶ある。ここでは書けませんけど。
私の家族もDVはひどかったですよ。つい最近までね。
まだ、一波乱ありそう。私の件で・・・。
私は、ちょっと前まで、生まれ変わったら、という妄想もあったけど。最近、生まれ変わったら、という考えは無くなったんです。死後の世界とか転生とか、そういうのは無い。死んだら物質になるだけ。だからこそ生きてる間に何とかしたいって。
近年中に専門の先生に見てもらう覚悟はある。仕事も辞めなければならない。頑固な家族を説得しなければ・・・。乗り越えなければならない山がまだまだあるんですよ。

人生は長い旅です。他のミュージシャンで失礼ですが、下川みくにの「all the way」って曲。人生の旅を象徴した曲なのかも。

OK! そうです!
力強いこの文章!!
ちょいと気になることがあって
前回の日記にたまらずコメント入力後、
この日記がアップされているのを
見て思わず喝采!!!!
そのとおり!いいぞ〜!!
荒らしたりあおったりするつもりは
ないけど、今回のEPOさんの
返事はいい!!! ガッツだぜ!!

EPOさんのプロセスのエネルギーが私にも伝わってきているのでしょうか?
ここ4年、自分の本当にやりたいこと、本当の自分の声に従うため、それまでの仕事を辞めて、ずっとそれが何なのか探してきました。それは思った以上に簡単なことではなくて、まだようやく糸の端っこを見つけたに過ぎません。自分のことなのに自分が一番分かってない?あれ?本当の自分は?って、びっくりするぐらい見えなくて、逆に家族との関係性に対する疑問と疑念が沸々とわいてくる日々です。
それまでに一段階、自分を変えられた手応えを感じた4年前、このことを決意した時、「私の親は私たち子供(私と弟)を自分たちが生きるための保険に使用としている?」そう感じたんです。
母は父から、私が生まれたときに「女の子じゃ要らない」と、弟が生まれたときは「今更男の子でも」と言われたそうです。その母に私は「自分を殺さなければ生きていけない。お前のために行っているんだ」と言われてきました。
なら、私は誰のために生きているんだろう・・・?
今は亡き祖父母も含め、家の中は大波の嵐が起きようと外への体裁は「良き家族」に見せるため、大人という脅威の存在から(EPOさんには遠く及びませんが)理不尽な扱いを受けてきたことは確かです。今になって、後味の悪い記憶として罪悪感とともに蘇ってきて、苦しくなります。ただ、救いは弟との関係です。そんな弟も、時折ぼそっと、「(父が)死ねばいいのに」と漏らす、その言葉にどこか悲しい気持ちになります。
今私は、「物事を良好に遂行するためには、その行動の意味を理解することが大切で、そのための失敗は非難や制裁の対象ではなく学習のためにある」ということを学んでいるようです。完全でなくてもいい、失敗しても受け入れてもらえる世界があるんだと・・・誰かに利用されるために完璧であることを要求される関係性に終止符を打つために。
ようやく見つけた糸の端に向かい現実的な展開としての大きな一歩を踏み出す、までにはまだ完全には至っていませんが、そのためのリハビリ中の私です。これから、自分の恐れに向かって突き進めるように。
EPOさんのプロセスから戴いたであろうエネルギーに感謝を込めて、私も自分自身のプロセスでEPOさん他たくさんの人たちにエネルギーのお裾分けができますように・・・
(長くなっちゃってごめんなさい)

人の気持ちを考えない
自分勝手な人が多いこの頃ですからね
とても残念です

ここはEPOさんの日記ですから
好きなこと書いて良いと思うんです
EPOさんがココに居て
自分の事を話してくれる事が嬉しいです。

Rさんを敢えて弁護するとすれば
彼は彼なりにエポを励ましたかったのだと思う
ただ 自分がいかに不躾なことを書いているのか
気がついていないのかもしれない

テレ東の「みゅーじん」で見た1枚のモノクロ写真
肩に小鳥を乗せた小学生位のエポ
その 何とも言えない表情が 前から心に引っ掛かってた

「お兄ちゃん、覚えてる?私にしたこと。」と
この写真がオーバーラップする

いたわりや慈しみを欠いた家庭の空気感
写真のエポの表情が 如実に物語っているような気がした


ひめゆきさん

舌足らずな拙コメントを見事にフォローしてくださって
本当にありがとう

昨夜この日記を読んで、わあわあ泣けてきました。
夫にもびっくりされるぐらい、です。
ちょうど今私にもいろいろなことが重なっています。
それで、忘れてたこともいろいろ思い出したり、
これからどうやって前に進んでいくかを考えていたり
もします。
その中で、過去に、自分がぶつけられなかった感情
ほど、心に痛みを残しているんだということに、
やっと
気が付きました。
母代わりの祖母や恋人、そして夫、、
みんな愛すべき人たちで、私はその愛ゆえか、
愛欲しさにか、悲しさとかつらさをぶつけられずに、
我慢してしまったことがいくつかあったんです。
今、それらを思い出すと、その情景が蘇ってくるだけ
で涙が出てきます。
泣きわめいて相手をなじったこととか、そんなのは
思い出してもちっとも痛くないのに、です。

>「今は、許せなくてもいいよ」と、まずは、相手を許せない気持ちを正直に感じることを、自分に許してから癒しが始まるようにも思う。
 だって、とっても痛かったんだもん。

このメッセージ、どこかに書き留めておいて、つらい
ときはいつも読み返したい!
悲しかった、苦しかった、つらかった、悔しかった、、、
伝えられずに自分の中で押し殺した感情は、どうして
ここまで痛みを残すんでしょうか。心に傷を作るのかな。
そして、好きならば許さなきゃ、と思っていた自分。。

昨夜、「そうだよね、いいんだよね。だって、今思い出して
もこんなに涙が出てくるほど、つらかったんだもん」と
泣きました。
そして、また、子供達に対して、ぐずぐずされると日頃
苛立って「もー泣くな!うるさい!」と言ってしまって
いた自分が、子供達に対してどれだけの悲しみを
与えていたかにも気が付いて、涙が出ました。
子供達はきっと、悲しいのにそれを押し殺したはずです。。
ものすごい自己嫌悪と後悔。反省します。

EPOさんが過去に経験された痛みは、私の経験した
ことなどとは比べものにならないものだと思います。
その痛みと向き合って、これからの自分と向かい合って
いくEPOさんの姿が、今の私を励ましてくれます。
こんな風に、誰かの過程が自分を照らしてくれること
ってあるんですね!!
1ファンとして、いくらでもEPOさんをいたわってさし
あげたいし、応援してあげたい。
今日は「DANCE」を聴いています。
どうか、元気で、笑顔でいらしてくださいね。

小生は今までに二度、生命の危機を迎えたことがあります。
許せないほどに誰かを憎んだこともありますし、
他人を嫌な気分に陥れて、蟠りが残ったこともあります。

鮮烈に記憶に刻まれたことは、
忘れることも、許すこともできません。

「全てを背負ったまま生きてゆけ」という、
誰かの“思し召し”であるようにも感じます。

或いは、それらの苦い経験を糧とし、
新しい思い出を“上塗り”できれば、
霞ませるぐらいは、できるのかも知れません。

う〜ん、EPOさんには掛ける言葉もないのだけど、まあ、応援は多い方が良いだろう、ぐらいの気持ちで。(迷惑になりそうだから、ちょっと黙っていようと思っていたのだけど)
まず、大丈夫です。EPOさんは毒は吐いていません。誰でも解ります。それどころか浄化して吐き出しているようです。沢山の人たちが共鳴して光って見えます(おいおい、占い師か?、って)。
あと、いつも思うのだけど、よくぞEPOさんという人格が生き残っているなあ、って、「謎」だけど、そういうものかもしれません。でも、体(心も)は大切に。
『許すはよし、忘れるはなおよし』?、不謹慎にも、ちょっとフフッとなりました(断っておきますが、全然、否定しません!)。ふと、思い出したのがサッチモのWhat A Wonderful World。

神はなぜ人間に「忘却」というすべを与えたのでしょう?
一刻も早く忘れたいと願っているレイプ被害者に「痛みと向き合え」と言えますか?
その事実をつぶさに思い起こす事にどんな意味があるでしょう?

EPOさんが心の叫びを解放するためにそれが必要だという事は理解しました。
無神経に忘れるべきだと書いた事を反省します。
申し訳ありませんでした。

Rさん

そうですね、きっと忘れてしまいたい・記憶から消し去ってしまいたい・それが命や尊厳に関わることなら尚更、忘却したい・・!!そんな過酷な体験をした方は、どんなにか世の中に溢れかえっていることと思います。最近はPTSD(外傷後ストレス傷害)という概念も登場しました。
その中には、自分の存在そのものを消し去ることで、その記憶も共に消し去りたいと、大変な苦悩を抱えていらっしゃる方もおられるのだと知っています。
でも、自分を本当の意味で大切に生きていく為に、そんな経験に負けないで命を輝かせて生きていく為に、いろいろな方法があるのだと思うんです。
Rさんのように、崇高な精神や信仰に身を委ねていこうと思う方。
心理療法を受けようとする方。
または、趣味に打ち込んで昇華していこうとする方も・・・

そして、「この、私の痛みや悲しみ、絶望感は何処から来るのか、この生きにくさは何故だろう」と、全てを一度開放する形もあるのですね。これはね、実は、とてもとても、勇気のいることなのです。だってね、自分の痛みをわざわざ引きずり出して、引っ張り出して、みつめて、そして乗り越えるのですもの・・・

私もEPOさんと同じ様な痛みを抱えていますので、EPOさんや皆さんと同じ涙を流すのですけれども、Rさんの仰る様に「許しなさい・忘れなさい」というあらゆる信仰の教えを守り、生きていこうと、長い間自分を縛り付けていました。
でもね、私の信仰は、その一部には「自分の感情を全て殺す」為の方法だったんです。

無宗教ですが、きっと私の信仰は深いです。
自分を殺さずに信仰するということを学びましたから。
そしてね、最近、いろいろな方のそれぞれの歴史・人の重みというのを、やっとやっと、実感出来るようになってきたように思います。
それは自分の重さをやっと実感出来るようになったからだと思います。

Rさん、いつかコメントで、EPOさんのこと、祈って下さっていましたよね。
「憎しみから魂が自由になりますように」って。
それ、私は嬉しかったのですよ。
EPOさんの為に祈ってくれて。

マルツ・ガンジー・ブラウニング(素晴らしい詩人ですよね)。
Rさんはきっと、教養と知性にあふれた方。そしてご自分の人生の中で培ってきた信念がおありなのだと思います。
そんなあなたが、ここで、たくさんの悲しみに触れるという縁に自らを投じておられることに、私はむしろ、喜びを感じます。

ちょっと看過できない

>一刻も早く忘れたいと願っているレイプ被害者に「痛みと向き合え」と言えますか?

ならば逆に君に聞きたい 同じ被害者に対して

「許してやれよ 1回ヤラれたぐらいで」って言う?

『許すはよし、忘れるはなおよし』
賢者の金言を紐解くまでもなく そんなの誰でも分かってる

じゃ どうやって?

できないからみんな苦しんでるんじゃない

どんなに哲学書や金言・格言の類を読み漁ろうと
それはただの効能書きであって 薬そのものじゃない


>ご自分のことばかりを考えすぎるのです。

冗談じゃない

エポは 自分も含め そうやって苦しんでる人たちのために
少しでも薬に近付こうとして 毎年何度も渡米したりしてがんばってる

そんな人に向かって 君が書いたコメント 恥ずかしくないか?
もう一度 自分で読み返してもらいたい

同感。
本件で最も傷ついたのはEPOさんだ。
普通やらないぜ、アーティストが
こうした場でファンに“反論”なんて。
極力傷つけないように慎重に言葉は
選んでいるが、どれだけ負のエネルギーを
ねじふせたことか。
未だそんなこともわからず、
観念的な詭弁を弄する相手に
これ以上、真剣になる必要はない。
戯言を言わせておけばいい。

一点、事実誤認があったので急遽、追加を。
前のコメントを読み返したら、
何様野郎はEPOさんのファンじゃなかったね。
ファンの皆さん、大変失礼いたしました。

初めてコメントさせて頂きます。
くだんのコメントを書かれた方がEPOさんのファンかどうかは、どうでもよいことです。
こうしてEPOさんの日記を読まれているのだから、むしろファンの方と考えるのが自然でしょう。
ただその方は、人の痛みや苦しみに鈍感な方とお見受けしました。
多分、EPOさんに「過去の事はもう過去のものとし、前向きに歩きましょうよ」と言いたかったのでしょう。
ただ、EPOさんのケースでそれを言うには、あまりに考えが浅はかと言わざるを得ません。
年数で1つの基準を置く事自体が陳腐です。
正直、気に止めるまでもない内容と解釈しました。
EPOさんが、この件でどうか心を痛めることがありませんように。

追伸:ありのままの、今のEPOさんが大好きです。

『許すはよし、忘れるはなおよし』
この言葉に反感を持たれる方も多いようですが
努力して思い出し、向き合う事が出来るなら
努力して「忘れる」という行為も可能かもしれません。
どっちが正しく優れているという事ではありません。
日本でも「鈍感力」や「老人力」などという本がはやりましたが
少しかすっているように思います。

世の中には完璧なドクトリンなど無いと考えるものです。
辛い記憶を思い出し、向き合う事もひとつのアプローチなら
「忘れる」という事も、仏教的に言えば「執着から離れる」という教えです。
色即是空空即是色。

立ち向かうだけが全てでは無いように感じたのです。

skyさん、ありがとうございます。あなたには霊感がおありのようですね。

私はEPOさんのファンです。

EPOさんが幸せでありますように。

私の旅だもの…そう思います。

6月25日の日記を読んだ時、魂が受け止めてしまい
気持ちが寄り添ってゆき、ただただ涙が止まりませんでした。

どんな人間にも平等に、自分に起こった悲しい出来事も
うれしい出来事も味わう権利があると思います。
その人なりの感じ方、時間のかけかたで。

EPOさんのように、それが血の繋がった家族間でのことだと
小さな子どもたちは何処へ逃げればよいのでしょう?
子どもの時代は両親や家族の存在は絶大なのです。
悲しい、辛い、どうしようもない絶望感。
手放せないのではなく、手放したくとも
魂、細胞レベルで刻み込まれた傷みを回復させるのは
早急にできるものではないと思います。
そのことを知った上でご自分の旅をされているEPOさん。

さまざまな理不尽な出来事に対して
容易に許せる魂ならば人はこの世に生まれて
さまざまな経験をすることはないのではないのでしょうか?

誰かに打ち明ける、聞いてもらうことはいけないことですか?
ファンの方々に対して、これだけ正直な表現をなさるEPOさんは
その創り出される歌のまま素直な方なのだと感じます。

目の前に居ない人間に、心ない言葉をかけることは
本当にその人を思いやる気持ちがあるのかな?と、感じます。
ネット社会が当たり前になり、言葉が暴力的に使われる昨今。
おたがいの顔が見えないからこそ心を配る姿勢が大切だと思います。

けれど、この度のEPOさんご本人のメッセージや
それに答える多くのファンの方々のお気持ちに
あたたかいつながりも感じることができました。

この手紙を記していて“見知らぬ手と手”が心の中に響いてきました。
多くの哀しみを抱えていながらもEPOさんは
たくさんの宝物の歌をおくり続けてくれました。
私はそのことに愛を感じ、とても感謝しています。

これからもEPOさんの速度で“旅“をされてくださいね。

先のお手紙を記した後に、Rさんのメッセージに気づきました。
(UPのタイミングなのか?先の私のメッセージはそれを読む前のものです)

読ませていただき、先日書かれてあった内容とは違った印象を受けました。
文面からお伝えされたかったお気持ちを感じました。
そして……
『私はEPOさんのファンです。EPOさんが幸せでありますように。』
この言葉は本当のお気持ちなんだな…と響いてきました。

なにもEPOさんやファンの方々を不快にさせるつもりで
先日のメッセージも記された訳ではなかったのだと想像します。
活字の整列だと人それぞれの解釈もあり誤解をもあると思います。
言葉の選び方は難しく、繊細で大切なものですよね。
私も勉強になりました。

Rさんのお気持ちが、EPOさんや皆さんに伝わるといいですね。
お祈りしております。

追伸
EPOさんは許す事も忘れる事も否定していません。
ただそこに至るまでには長い時間が必要で、今はそのプロセスを踏んでいる途上である。
という事を理解しています。
その通りだと思います。

私は最初から否定はしていなかったつもりです。
しかしEPOさんを含め、多くの方を不愉快な気持ちにさせてしまったようです。
ですが、多くの事を考えるきっかけになり有意義でもあったとも思っています。
ありがとうございました。

アーティストの名前の書かれたタオルを投げ飛ばしたり、
アーティストと同じ髪型とか服装でギター弾いたり等
アーティスト様様のファンもいいけど、
「おい、歌詞間違えてるぞ!」、「ちょっとそのメイク・・・」等
なんて言えちゃうのが、epoさんの魅力かもしれません!
みんな違って、みんないい!Rさん、気を落とさずに!

参考になるかどうかわかりませんが。
一説に人間は生まれてから、というか母親の体内にいて脳がある程度形成されてから、全てのことを覚えてるのだそうです。
epoさんがカウンセリングで「忘れなさい」と言わない理由の一つはこれなんです。
また、フロイトに心理学によれば、人間は「無意識」に思ってることや考えてることで行動してるんです。すなわち「忘れなさい」といってもそれは「無意識」の中に無理やり押し込めただけで、なんともできないんですよ。

私も嫌なこといくつも引きずってますしね。忘れられないこと。
人間は嫌なことより、楽しかったことの方がいっぱい覚えてる、っていう人いるけど、あれは私には当てはまらないね。
そして、自分がなんで嫌なことばっか経験してきたのは、ある一つの理由があるってのも知ってるし。

いつも一郎さんのコメントに同感してる私デス。
みんなepoちゃんのこと本当に愛してるんだなぁ・・・。epoちゃんのことなのに、すごく嬉しい!

EPOさん、おはようございます。
EPOさんのストレートな書き込み、いいと思います。
私はネットとは言え自分の書き込んだ言葉には責任を持つべきだと思うし、
正しいと思うならEPOみたいに堂々と反論すればいいと思うんです。
その方が意味があるし、かえって救われます。

自分はファンですなんて普通自己紹介以外では書かないよなぁ...

はじめまして!

今日、娘と一緒に行った図書館で、
ふと、EPOさんのCDに目が留まりました。
手に取って「百年の孤独」のタイトルを見つけました。
その一曲を聞きたいがために借りてきました。

若き日の多くの時間を逗子で過ごしました。
同じ空気を吸っているということもあり
EPOさんの当時の楽曲は大好きでした。

「百年の孤独」を聞くと
「ワンダーゾーン」という番組のエンディングが
鮮やかに蘇りました。
番組内容がどのようなテーマでも、
この曲で気持ちが熱くなりました。

EPOさんは今でも逗子に住んでいらっしゃるの?
そんな素朴な疑問で、ここに辿り着きました。


がんばっちゃったんですね、
そのことを心の底に埋めてしまっていたのですね、
ここでそのことをOPENにすることは、
さぞ勇気が必要だったと思います。
今、取り組んでいらっしゃることを考えると尚更です。

中には否定的なことを、わざわざ伝える人もいますが、
その方のこれまでの生い立ちの何がそうさせているのか分かりませんが、
もしまた此処に来ると、自分の言葉の矛先が実は自分に向いていた事を知るでしょう。

人のネガティブもポジティブも連鎖していくものです。
EPOさんはネガティブの連鎖を断ち切り、
ポジティブを繋いでいこうとされているのだと思います。
そしてご自身のトラウマに正面から向き合おうとされているのです。
この前向きな姿勢が、いずれ赦しというニュートラル(平静)をもたらすはずです。

私はセラピストでも何でもありません。
ただ最近、私にとってのトラウマを知りました。
自分ではそれを言い訳にするまいと思いながら30余年生きてきましたが、
その我慢が自分を苦しめていたようです。
その紐解きはまだまだこれからですが、
そんなこともあって何か黙っていられずに書き込ませていただきました。
今後も遊びに来ます。
いずれ、葉山でEPOさんとお会いしたいな、
「百年の孤独」、今日何度も聴きました。本当にすばらしい曲ですね。

昨日、NHK教育TVでの「ETVワイド ともに生きる」という番組で「子ども虐待」が特集されていましたが、その中で子どもの虐待についての専門家である西澤哲さんが
「被虐待サバイバーにとって、正当な怒りを何らかの形でぶつけることはとても大切」
と言われていました。EPOさんがblogで辛かった気持を吐き出されていることは「専門家からもお墨付きの、正当なこと」なんですよね。なのでこれからも堂々と続けて下さいな。
西澤さんは「境界性人格障害であるサバイバーが母親に怒りをぶつけたら、それを境に回復してきた」という事例も紹介されていました。それぐらいの力があるんですよ、自分の辛い気持や怒りと向き合うこと、そしてそれを吐き出すことには。

心や体が傷ついて痛かったこと、忘れて閉じ込めることで治るのだと思ってました。吐き出すことで楽になるのならどこに吐き出せばよいのかと考えていました。
が、1つ私が試した方法は、溜めこんだ思いをノートに書きだしてしまうこと、それから、言葉にして自分の口から吐き出してしまいたいと思い、思いついたのが電話です。
無通話状態の電話の受話器を耳にあて自分の思いを話します。誰かに話しているという感覚で話します。あいづちも自分の都合の良い様に、うちます。完全に独り言ですが受話器の向こう側になんて人はいませんから、隠してた気持ちを誰かに気にすることなく話してしまいます。
形だけなら電話で話してる感じです。頭や心で悶々と考えているより言葉にして発してみたら楽になりました。受話器の向こう側の自分と話をして「そうなんだぁ、それは辛かったよね、じゃあ今度はこうしてみようか!大丈夫!出来るよ」って言って自分をなだめてあげました。

自分を許すこと、自分と向き合うこと、それぞれ方法は違うと思います。

私はまたこの方法で思いが溜まったらやってみようと思ってます。

もう レスしないつもりだったけれど もう一度だけ
エポさん お許しください


>努力して思い出し、向き合う事が出来るなら
>努力して「忘れる」という行為も可能かもしれません。
>どっちが正しく優れているという事ではありません。

「思い出し、向き合う」ことは 手段(プロセス)
「忘れる」ことは 目標(ゴール)

「忘れる」ために「思い出し、向き合う」


>『許すはよし、忘れるはなおよし』
>この言葉に反感を持たれる方も多いようですが…

>EPOさんは許す事も忘れる事も否定していません。

このこと自体を否定する人はいないと思うよ
否定するどころか 心に深刻なトラブルを抱えている人全てにとって
究極のゴールだと思う

ただ いきなりゴール地点の写真だけを見せられて
その場所へ行けと言われても 地図がなければ無理だと言ってる

君がもし 
エポが取り組んでいるアプローチとは別の近道を知っているんだったら
ゴールの写真より先に その地図を見せてくれ

どれだけの人が救われることか

プロのセラピストとして活動しているエポに対して
あれだけのコメを書いた君だ
まさか 手ブラということはないよね

今頃エポはどうしてるだろう

元気だといいけど

GOOD!