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2008年6月15日

●出る・引く・聴く・見る

Ceremonyは大成功!

 卒業生を送るために行われる在校生によるCeremonyが無事に終わりました。
国際色豊かなBBSH。お互いの文化も違えば言葉も違う。時間もない中で、本当に素晴らしい作品となりました。「なんとかなる」は、本当になんとかなった。というか、なんとかしたって感じ。こんなに楽しい結果になるなら、来年は、もっと早めに準備をしましよう!特に、Lower Selfのパートは、直前まですったもんだしていたのに、最高だったな!自分の中で自分と分離しているネガティブなパート。本番に至る間も、それぞれのLower Selfが噴出して、とりまとめるのに、同級生が本当に苦労していました。まさに、そのもののパワーが入ったせいでしよう。パフォーマンスとコントの2部構成で作られた作品の中で、大暴れのみんな。そして、コント中、宮川雅彦さんの日本語によるアクションに、アメリカ人も抱腹絶倒。翌日あちらこちらで、「素晴らしい、コメディアンだね〜」と、声をかけられていましたね〜。皆で、「彼は、リアル・アクターですよ!」と、説明すると、納得の模様。英語全くしゃべらない人なのに、何故か、授業中から、笑いをとってみんなをなごませている宮川さん。MUSIC&DRAMAのセラピストでもあるわけだけど、猿之助さんとか、欽ちゃんとか、こまつ座での舞台の体験がある。本業は俳優。彼は、来年、某芸術大学の演劇の先生にもなっちゃうけど、アメリカでの活動も彼のキャラだったらいけるんじゃないかな?
 とにかく、無事終わってなにより。Class5は、丸一日勉強と、この制作で追われていて、部屋に帰るとバタンキュ。
 たくさんの人たちと何かを作っていく時に必要とされる、人間関係のスキルを、
実践で学んだ感じがしました。自分が、出るとこ引くとこ、そして相手の言葉を聴くとこ。全体を見ること。う〜ん。深い。


●許せないのは、もしかして?

許すということについて

「許す」ということが、自分の中でどのような感覚があるかを、クラス全体でシエアする時間があったの。
 きれいごとの中で、よく使われる言葉。
「許しなさい!そしたら、救われますよ。楽になりますよ。」
「ほどこしを与えなさい。救われるために。」
それも、変な話で、じゃ、救われないんだったら、許さなくていいのか?与えなくていいのか?いつも、変な言葉だな〜って思うの。
条件付きだから。

相手を許せなくて苦しんでいる人に、「許しなさい」なんて、私は絶対に使わない。
私がクライアントだったら、カウンセラーに、「そんなにひどい奴、許さなくていい!」って、言われたい。
「禁煙できないんです」って人に「なんで禁煙しなきやいけないんですか?」って、言ったら、「そんなこと言われたの初めて。やめなくていいんですか?」
って、聴かれたから、「どう思う?」って聴いたら、そのクライアントの人、次のとき、タバコやめてたの。あれ、不思議だったな。
話は、それたけどね、
許したくない感情になるような出来事に、解決されていない問題があるうちは、無理。
クライアントの痛み、苦しみの根本原因を探して、感情を外にださなければ、解決はしない。そうでなければ、根本的に救われたことにはならないと思うの。
 
 という意味でも、今日の話は、すごくおもしろかった。
私は、皆のしゃべってる英語の内容がよくわからなかったので、クラスメイトのアキちゃんに通訳してもらったところ、第三チャクラが痛くなった。
 「許すこと」とって、それぞれの感覚の中で、本当にいろんな思いがあるんだなって思った。「許したら負ける気がする」とか、「許したら、また、同じことをされる」とか。それは、起っていないことに対するイメージなのかもしれないけど、確かにあるよね、そういう恐怖や不安。
 私の中の許しの感覚は、今、ちょっと妙な状態にある。
佐藤家のパターンなのだけど、問題の本質にさしかかると、いつものまにか、相手が、すごく感情的になって、話題を別回線にすりかえて、瞬間的に、その問題と全く関係のない論点へと移行。
「栄子がいかに悪い人間であるか探し」になって、「そういえば、あのときも、お前はこうだった、ああだった」と、そうなるの。それに意見したり答えていたりするうちに、最初の問題がなんだったのか、よくわからなくなる。
 怒鳴る、威嚇する、話を歪曲させる。こういう相手には、まともに接しても話ができないから、「私が大人になればいいんだから...」と、小さい時から、ものわかりのいい人になることを自分が選んできた。
不毛な会話です。後味も悪く。それでも、相手には許されないのにね。そして私は、自動的に謝る。その癖ってなかなか治らない。

 私の中にある「許さない」というテーマだけど、そういうわけで、「私は絶対にそういうあなた達を許さない」という気持ちは、結局、どこにも使いどころがなく、ポツっと存在してて、寂しいのだということに気がついたの。
 おかしな話でしょ?
 相手は、私から許されるすも許されないも、別回線で、別次元で存在してるから、そんなことまったく考えてもいない。
 
 自分を受け入れられたいと思うあまり、つい謝る。本当の気持ちじゃないのに、真実の自分を分離させるとき、怒りが出る。この怒りは、相手に対してというよりも、もしかして...自分に対してなのかな?

 私は私に言おう!許せないのは、自分自身なんじゃないのかな?

ということに、気付かせてくれる家族関係は、本当に大変なんだけど、「混沌の中にも晴れた空があり」とは、まさにこのこと。(あきらめたくない、の詩だったかな?)
ある意味、私は、この家族から、本当に恩恵をたくさんもらっていると、思うのです。

あ、ちょっと、今日も、それに気がつけて、救われた。
それに気づいた自分を許したら、救われた。