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2007年12月30日

●許して夜更かし

こんなに夜更かし...してしまいました。朝5時だよ〜。
録画しておいた番組を見たり、大掃除したり。スタートは遅かったけど、いい一日でした。掃除してたら、あれ?こんなところにあったの?イヤリングのかたっぽとか出てきた。私はあまりアクセサリーをしないので、唯一好きで持ってるひとつとか、ふたつはとても大切なものなんだけど、うっかりどはずして部屋のどこかに置いたとたん、必ずなくしてしまう...。しかし、そういうものに執着がない自分に問題あり。
 我が家には、猫が2匹いるんだけど、うっかりどこかに置いてしまった小物などは、冷蔵庫の下とか、立てかけてある大きな鏡の裏から出てくることがとても多いの。あんなに器用に、狭い場所にゴールされて集められてるところを見ると、彼らが遊んでいるうちにゴール!してるとしか思えない。なんか、ビンのふちについてる鉄の枠とか、ワインのコルクとか、「かわいいちゃん」て名前をつけてた小さなぬいぐるみとか、「しばらく見ないな〜」と思ってたものが、 ベッドの下とか、何かの裏とか、いろんなところから出てくるそんな年末なんです。
 一年分のホコリを掃除した後、お部屋の光や空気や部屋の波動が本当に変わる。こんなに気持ちがよいなら、もっと普段からやっておけばよかった!
 今、3カ所ある私の拠点...。うお〜年明けまでに掃除できるかな..。
いけない...朝ご飯の時間?お腹がすいてきた。

 


2007年12月29日

●年末な私..ようやく


皆さん、大掃除、進んでいますか?
今CMの音楽制作に入っており、オーケストラのアレンジとかしてたら、楽しくなっちゃって、やめられず...
ずるずると仕事納めが、今日になってしまいました。
 さて、少しずつ年末モードに向かっていこうかな。

 数日前、最後のカウンセリング・セッションを終え、東京へ。
来年のCDやDVDの販売に関する会議を行ったあと、スタッフと渋谷にある火鍋屋で食事。
私が火鍋好きと知り、アシスタントの服部女史が選んでくれたお店!激ウマでした。
忘年会シーズンとあり、渋谷の街は人、人、人でありました。
この店、大盛況のようで、予約の時間が来てもお客様がなかなか帰らない。
それって、おいしいってことでしよう?そんな待ち時間も楽しみながら、裏通りを散策。あまり渋谷で食事をすることはないのですが、マークシティー側の裏って、よさげな居酒屋、実はたくさんあるんですね〜。靴下ぬいで、くつろげるような店っていうのかな。そういう感じのところ。今度、ゆっくり探検しよう。
 この店、6種類の薬草が入っており、なんともおいしい!
しかし、冬のお鍋はいいですね。うちもしょっちゅうお鍋なんだけど、
 手間がかからないうえに、お野菜がたくさんとれるのがうれしい。それに、食べたそばから体がポカポカ。
お野菜の湯たんぽをお腹の中に入れたようなものですものね。
 
 そして昨日は、仕事を終え、久しぶりに美容院へ。髪の毛を切ってさっぱり!
その後、友人達とおちあって、六本木にある「なかみ屋本舗」というところで、
焼き肉を食べました。うう〜〜おいしかった〜。そんなにたくさん飲まなかったのに、タクシーの中でうとうと〜。明日からお休みだって思ったとたん、少し気が緩んだかな?ブーツ脱いで、靴下ぬいで、後ろの座席で丸まって一眠りしたら、あっという間の葉山でした。
 本当は今日、大掃除のはずだったのに、目がさめたら、12時。
オモちゃんは、「ね〜遊ぼうよ〜それにお腹がすいた〜。」とばかり、私の髪の毛をかじる...。
 一緒に寝ているフイちゃんは、私の手を、甘え甘噛み蹴り。後ろ足でポンポンと。いたたまれず、起きましたよ〜はい。
 朝食は、芽が出ちゃったんで早めにゆでておいたジャガイモをもう一度暖め、クリスマスの時の残りのスモークターキー&オニオンをサラダ風にあえて、のんびりいただきました。
 窓の外はグレー。少し寒そう...。ヤマネ倶楽部日和。(お布団でぬくぬく猫と丸くなってだらだら過ごすの意)
 ちょっとは掃除でもするかな。 
 


2007年12月22日

●歌い納め〜前乗り東北


BBSHからもどり、仕事を稼働始しました。
仙台で収録を終えた後〜雪の盛岡に前乗りです。
今年最初の「雪」体験になるかしら?
今日のゲストは坂本サトル君。
彼の生き方には、心から共感するものがあります。
久しぶりにお目にかかるのが楽しみ。
そして、その後、盛岡に向かい、明日コンサートがある場所で、
今日は国府弘子さんのコンサート!
国際フォーラム以来になる、彼女のピアノを聴くのが楽しみです。


そうそう...昨日、『AQUA NOME 』のLIVE盤リリースのプレ会議がありました。予定では2007年中だったリリースだったのに。
まだ出ない...本当に、ごめんなさい。
地味〜な作業とともに、未だゆっくりと進行中です。
2008年中には、出したいところ...。待っててくださいね。


23日は、盛岡で今年の歌い納めのコンサート!!
詳しくは、HP上のLIVE情報を見てください。

皆さんの仕事納めはいつですか?
忘年会、その他、お忙しいとは思いますが、日記はなるべく更新していこうと思いますので、eponica.netに遊びにきてねん。


2007年12月19日

●実験報告

日本に、もどったよ〜〜。
空港の外に出たら、思わず、ブルっとしました。12月ですものね、あたりまえ。マイアミ〜ワシントン〜成田、トランジットの時間を入れれば、16時間の移動。ワシントン〜成田間の10時間、PCに入っている音楽ソフトで、、CM音楽の構成のアイデイアを仕上げました。すごく楽しくて、あっと言う間に時間が過ぎてしまいました。なんと仕事が、はかどること!?こういう移動中の時間も、有効に使わないと、とにかく時間がない。
 12月も残すところ、あとわずか。師走とは本当によく言ったものですね。今年も、本当に早かったなあ...。
 年明け早々、私はスキルップのために、また海外となりますが、オフィスには、服部女史が窓口でお仕事のお問い合わせや、カウンセリングの予約に対応してくれますので、どうぞご安心ください。
 
 さて?帰国後、フイちゃん、オモちゃん、そして留守中完璧な秘書能力を発揮してくれた、服部女史と今後の仕事のわくわくな打ち合わせも終わり、葉山の気持ちよさもあまりにうれしくなんだかとても元気です。
 そして?帰国後最初に食したものは、さて?なんでしよう?
 出発前に、冷蔵庫を空にしていったので、帰りに野菜や食材をたんと購入。
 閉店前のスーパーでうれしいことに割引商品がたくさんあり、思わず、我が家で、鍋!しかも、ブリシャブ!&ブタバラシャブ!う〜油がのってて、ウマウマでした。その後の、讃岐うどん〜〜しびれまくり。
 予約録画していた「ちゅらさん3」を見ながら、心ほかほか.あったらいいなの家族のモデルに心から涙し、あ〜日本に帰ってきたなと、自分の家にようやくヒゲ根がはえはじめたところ、現在午前4時になろうとするところ。
 困った、寝なきゃ。なのに、楽しくなって、目が冴えてきちゃった。
時差を調整するために明日から休みをとったのに〜〜。早く寝ないと。
 
 そうそう、「実験」の結果です。なんか、いつもの自分のまま、誰かとすれ違っても、特に何も変わりありませんでした。なぜなら、すれ違う相手も、目を合わせない。なんか、彼らも自分のプロセスに入っているらしかった。
 おもしろかったことに、周りを見渡すと、いろんな場所でひとりぼっちで、太陽にあたっている人や、感慨深気に座り込んでいる仲間をあっちこっちで見かけ、な〜んだ、個人的なシエルターに入っているのは私だけではなかったんだって、少し、ほっとした私でした。
 「ごめん、今は、誰とも話はしたくないし、ひとりでいたいの。」これ、別に悪いことではないのね。
 今、自分には、スペースが必要。そういうときってありますし。
 そしてまた、その時間は、不思議に孤独ではなかった。全体から分離している感覚でもなかったの。むしろ、「一人でいても、満たされている時間」というようにも、感じられた。だから、誰かがそうしていても、そっと尊重してあげられる感じ。そしてこの学校は、お互いが、そういう時間を持つことをとても自然に見守ってくれる安全な場所であることをあらためて感じた最終日でした。
実験報告でした。 


2007年12月17日

●収縮が始まった


無事にClass2が授業が終わりました。
皆と、ハグハグしながら、お別れ。
レストランで、ここ一週間の出来事を仲良したちとごはんを食べながら、
話していたら、なんか、お疲れハイ?ばかばかしい話ばっかり、めくるめくでてきて、もう笑いが止まらない。あ〜幸せ。
 かと思いきや、急に自分の意識が、遠のいて、ゆっくりスロー・ダウンしはじめた。あ?これが、BBSHでいうエネルギーの収縮ってやつ?

思えば、シカゴで足止め、2回もフライトを変更、やっとマイアミ到着。
授業が始まって、自分の中に拡張が始まり、授業が終わったとたんエネルギーが収縮...。なんかそんなかんじかな。
私は、ライブでもそうなんだけど、終わった後のその収縮過程中で、「あ〜これでよかったんだろうか」とか、「もっと上手にできたのに」とか、セルフジャッジをしがち。
そして落ち込んだりする。皆は「すごくよかったよ」と言ってくれるのに、自分でそれを、受け入れられなかったりしてね。
誰も、失敗しようとしてなんか頑張っていないのに。なんだか、自分を責めるのがクセになっている自分。


実際は、収縮し終わった後の、維持の状態が来てはじめて、ひとつのクリエイティブな作業が終わったことになるんですって。
だから、収縮過程でセルフジャッジをすると、まだ完成していない作品、もしくは人生の一部分に自分でケチをつけることになる。
それが起こると、せっかく体験して得たものを、自分から切り離してしまうことになるのだそうです。そのとき、心に痛みを作るらしい。
という意味でいうと、まだ、エネルギー的には、BBSHのClass2は終わっていないんですね。
収縮過程で、自分に優しくしてあげたり、ほめてあげたり、作業からのポジティブな学びを得たりするとすごくいいらしい。
幸い、今回は、私の収縮状態は、ほどよくリラックスしてて、とてもいい気持ち。
そんな気分のまま、同級生の女の子たちと、ショッピング。
頑張ってお勉強した自分にご褒美!ホテル横にあるショッピング・モールで、クリスマスバーゲンをやっていたので、思わずお買い物!
ステージ衣装用のブラウスと、アクセサリー、貝に銀細工がしてあるネックレスとイヤリング、それに、ふわふわの黄色いマフラー、これ全て50パーセントオフ!全部で2万円ちょっとなり〜!
かなりのお得なお買い物だったかも!このショッピング・モール、スペインの人が経営するショップがかなりあって、商品の色使いがさすがラテン!鮮やかです。
サイズの種類もあるから、うれしい〜。
日本にいると、時間がなくて、お買い物にもいけないから、こういう機会じゃないとね。
 部屋にもどると、バタンキュ−。
時計を見たら、まだ夜7時だよ〜。でも起きていられない。
明日は、朝6時出発だ〜。早く寝よう...。フイちゃんやオモちゃんにあって、
お腹のふわふわ毛に顔をくつけたい。
 日本に戻ったら、3日ほど、収縮日をとる予定です。その間、日記はお休みになりますが、きっとEPOは今頃、お湯にでもつかってふやけてるのかな?などと想像しててね。
 こっちにいる間、いくつかの大きい仕事が決まりました。
年末からお正月にあけまで、CMの制作や本の出版準備であけくれそう。
 2008年はすごく忙しくなる予感。


2007年12月16日

●ちょっとシャイです。

今日は、授業終了後、クリスマスパーティーがありました。
クリスマスキャロルを歌ったり、ダンスしたり楽しかったな〜。
先生自ら、楽器を弾きながら歌ったり、踊ったり、
勉強も、そうでない時間も、人生は楽しまなきゃ!
って雰囲気です。

昼間、Class2の評価表が配られました。
自分がダメだったと思ってたところがPassしてて、少し安心。
今回、こちらに来て感じたんだけど、ちょっとシャイになってる私。
みんなと一年も一緒に勉強してるし、顔見知りなのに、なんだか目を合わせるのが、とても恥ずかしい。
どういうことかしら。すれ違ってもなるべく、話しかけられないようにしたり...。
自分の中で何が起こっているのかなあ。ムードメーカーだった気のあう子が、仕事の関係で今年休学しちゃったりと、
なんだかちょっと寂しかったのもあるのかな。
そういえば、今回、英語が全く聞き取れなくて、愕然としちゃった。
ようやく、少し感覚を取り戻したけれど。

2年生のテーマは人間関係。コミュニケーションやコンタクト。私は、何を恐れて、人とのコンタクトから自分を防御しているの?
コンタクトをすると何が起こることを予想して避けてるのかしら。
「話をしなければいけない...。話題を探さなきゃ...相手に興味を示さなきゃ,,,感じよくしなくちゃ....。」
あれこれ考えると、なんだか呼吸が浅くなって、そのうち面倒くさくなって、閉じちゃう自分がそこにいた。
本当は、楽に、日本の友達に見せる自分のまま、そこにいたいのに。

評価表の最後に先生から、「頭を忙しく働かせるのをやめて、もう少しリラックスする練習をしましよう。」と、書かれてた!?
やっぱり、先生には、お見通しだったのね。
明日は、普段の私のままいるとどうなるのか、実験してみることにしよう。


2007年12月14日

●質問にお答えします。

今朝は5時起き。
朝7時から、ボディー・ワークの授業がありました。
久しぶりに体を動かして、とても気持ちよかったな〜。
体の中から聞こえてくる声を聴きながら、音楽に合わせて、それぞれに体を動かす。フロアはそれぞれの人たちのダンスでいっぱい。すごく美しかった!まるで、植物がそれぞれの法則で枝や、つるをくねらせ、自由に踊っているみたい。

午前中はバーバラの授業と新しいHeelingのデモ。
覚えることがいっぱいで手順が覚えられない...。
セッションの数を経験しないといけないのは、そのせいなのねん...。
バンドだって練習しないと譜面をおっかけられないのと同じ。

午後の実習では、担任の先生にほめられて、とてもうれしかった。
でも、自分が何故ほめられたのか、わからず、きょとん。
一年生の時も、何故自分がパスできたのか、よくわからなかったの。
先生には、何が見えてるのかなあ。

日記に投稿してくれた皆さん、本当にありがとう!
Q「お母さんの報復が怖い」というのは、具体的に何かされそうな可能性があるのですか?

 という質問についてですが、このように人格的に問題がある母親が一番恐れていることは、「捨てられる恐怖」。それを体験しないためににならなんでもできちゃう。嘘もつくし、事実も歪曲、ありもしない事件の被害者にだってなれちゃう。女王さまのように、魔法使いのように。そして、それに対する報復の対象は、家族、他人、見境がありません。
 具体的に何かされそう...なのではなく、思いもよらない方法で傷つけられるからとても怖いの。しかも、私の情報は全て彼女の架空のストーリーのネタや、
私を陥れるための、攻撃に使われるから、友達の名前や、最近何をしてるかとか、
そういうことは、いっさい秘密にしなければならなかった。
私も、この体験を、今まで誰に話しても信じてはもらえませんでした。ほとんどの人が、「親がそんなことをするなんて。ありえない。」そんなリアクションが返ってくるだけかな。
 私もね、投稿メッセージでいただいていた言葉のように、「産んでくれたんだから、親に感謝しなきゃ」なんて誰かに言われて、絶望的に傷ついたのを、覚えてる。わたしのことを守ってくれる人も、わかってくれる人は誰もいないんだって。
 それに、精神的・身体的な虐待になんか感謝できない。
「産んでやったんだから、親の言うなりになれ!」というのは、「親のいうなりでなければ、愛さない、私の子供じゃない。」という言い分でしよ?
 愛は無条件であって欲しいものです。
 
 同じような問題でこちらにいらっしゃるクライアントの方が成人の場合、安全で安らげる時間や場所を一日も確保できるよう、お母さんからの現実的な自立を、応援しています。
 娘がお母さんから自立しても、親子のつながりは真実のもの。親を見捨てることにはならないのだということを信じてみましよう。そして、娘が自立しても親子にはかわりはないということをお母さんが心から安心して信じられるようになるように、お母さんの学習能力を応援してあげられることにもつながるのです。たとえ、お母さんの好きな方法ではなかったとしてもね。

 


2007年12月13日

●何故私はここにいるの?


朝7時30分。 CLass2の初日。
 宿題がもどってきたものの「宿題の意味をもう少し理解しましよう。」と書かれて戻された。内容はわかってたはずなんだけどな...。聴かれていることと答えが違っているみたい。2年生になって、ものすごく宿題が増えたのと、必要とされる理解の範囲や深さが一年生の比ではない。ダメだ。これじゃ、私ついていけない。
日本に帰ったら、日常的に勉強の時間をもっとまじめに作らねば。と、一年生の時も誓ってなかったか?私?とにかく、いきなり、自信喪失。(おっと、これがセルフ・ジャッジメントという奴だな。これをすると心と体に痛みが出るんだったっけ。いけない、いけない。頑張った自分の過程をほめてあげないと。)
 2年生は家族や友人、夫婦、恋人、全ての生命あるものとのコンタクト、人間関係について深く学ぶ一年。すでに、私の中には、学校に来る2週間くらい前から、家族との関係についての問題が深く自分の中に押し寄せて、心は過去の痛みや怒りや不安、罪悪感で手いっぱいな感じになってたところを持ってきて、この数日、悪夢を見続けているの。きっと何か意味があるのでしよう。「母に心を引き裂かれて」というクリスティーヌ・A・ローソンの本をもう一度読み直し、私が封印していた様々な感情をもう一度感じなおしてみようとしているところ。「AC&DV&ボーダーの家族の中で生きる子供は、裁判が開かれる前に、生き埋めにされたような気持ち」みごとに、そこに書いてある子供は私です。小さい頃から、深い憂鬱がありました。いつ起こるかわからない虐待や不安。両親に意見しようものなら、その復讐は、私の知人や友人にまで飛び火。次第に私は、本当の自分を表現することが怖くなり、家の中で理解されようとすることを、あきらめてしまったのです。
そして、私という唯一の存在までも自分で疑うようになりました。常に外では「私は元気よ。」と明るくふるまっているうちに、嘘の感情の方が本当らしく思えてもきました。
 そのうち、心に何種類もの防御の技を身につけ、誰かに侵略される前に降伏しなければいけないというような誤った思い込みを持つようになり、生きているだけで、常に誰かに借りを作っているような感覚になっちゃったの。今も、その後遺症と戦っているみたい。そんな痛みから、解放されるときが来たのかな。自由になりたいのに、手放すことが、とても苦しい。だから悪夢を見るのかもしれないな。自由になるため戦いを挑みながらも、報復が怖いために母の世話をしなければならないという矛盾との間で、未だに夢の中でもがく私。
 今日、授業の中で、「何故、あなたはここにいるの?こんなに大変な学校を選んだの?」という問いかけがあった。私はこう答えたの。「何故、私がこの学校を選んだのかを、知るため。」ってね。


2007年12月12日

●負もまた吉なり!?

シカゴで足止め。
うわ〜〜トランジットにシカゴで、4時間も時間をつぶしたというのに〜。
マイアミ行きの飛行機が遅れに遅れ、フライトスケジュールとゲードが変更になったのに、気付かず、飛行機が行ってしまった!?
ふえ〜??なんとしたこと?
知らない空港で心細い〜い私。
なかなか掲示板に案内が出ないから、ちょっと油断しちゃったよ。
「マイアミ行きは何時になりますか?」
カウンターに問い合わせたら、
「もう、出たわよ!?」
「え?うっそ〜〜〜」
「名前を何回も呼んだのよ〜。」
ロビーが混雑してたから、少し離れたところの椅子で、
休んでいたのが間違い。
「え〜?呼ばれたの聞こえなかった。」
「そばに、いないからでしよ。もう一度、チケットを買い直すころになるかも。」
「はい...仕方ないですね。」
「では、サービスカウンターで、手続きしてね。」

格安で予約したのに、また買い直し〜?
ついてない...。
年に5回マイアミに行くので、最近、マイレージもためやすいユナイテッドの会員になったこともあり、ちょいと優遇!予約変更扱いで、翌日の朝9時の便にタダで変更可能でした。
よかった〜。
空港近くのホテルに飛び込みでチエックイン。
まっすぐマイアミに入っていたら、夜中の12時過ぎだったことを考えれば、
事故とはいえ、夜10時にホテルで休めるのは、かなり楽です。
ちょっとラッキーな気分。
翌朝、空港へ...。
ところが、マイアミ行きフライトは天候不順のためキャンセル!?とのこと。
なんてこった?ヒューストン経由マイアミか、夕方7時過ぎのシカゴ初マイアミ行くしかチョイスが無いとか...。
明日から授業だってのに...続くな〜〜。アクシデント。
しかし、めげないのが、私。ならば、もう一度、ホテルに戻り夕方までコンデイションを整えよう〜っと。どうやら同じようにホテルに戻ってきた人が多かったようで、フロントの対応も優しかった。
荷物を部屋におき、ちょっとゆっくりホテルで朝ご飯。
ブッフェ・スタイルの朝食、わおう〜!新鮮な果物に、オムレツ、フレンチトーストまである!こんなごちそう、授業期間は食べられない。
なんか、うれしいなな。
朝ごはん食べたら、体が暖まって急に眠くなってきた。
フライト時間まで、お昼寝...。
そして、再び空港へ..今度はちゃんと乗れそうだ。
飛行機の中で、熟睡。そして、ようやくマイアミに到着。
あ〜あ、なんだか長い旅だったけど、新しい体験もあって、楽しかった。
明日は、いよいよクラスにチエックイン。朝、7:30ですって。
早く寝なきゃ。


2007年12月10日

●マイアミに出発します。

今日からマイアミです。BBSH YEAR 2 2学期がはじまります。

出発前は、何かと、ほんとうにバタバタです。
そう...数日前に、事務所の大家さんの奥様が亡くなられ、
今日、お葬式がありました。

ご夫婦は、植物が大好きで、事務所の玄関に季節のお花をいつも植えてくださいました。
私たちや、クライアントの方々の心をどれくらい慰められたことか。
留守がちな私たちの事務所の植物にお水をあげてくださったり、植木の選定をしてくださったりと、本当によくしてくださったんです。

その奥様がお風呂場で亡くなられたと伺い、本当にショック。
昼間テレビで「冬場のお風呂の恐怖」というタイトルの番組で、
冬場の部屋の温度差に注意が必要との内容を見ていたばかりだったのに....。

奥様が亡くなられたことはもちろんショックなのだけれど、
50年連れ添ったご主人が、どんな気持ちでおられるかを、思っただけで、
涙があふれて止まらなかった。

開業した当時、近所の仲間たちと大家さんをお招きして、一度、我が家に、お招きしたことがあったっけ...。
20人近いお客様のお料理の支度で、てんてこまいの私を見た奥様が、「お正月の私をみているみたい!親戚がみんな集まるから、天ぷらを揚げるだけでも、大変なんですよ〜。長男の嫁は、本当に大変なんですの。」なんて、忙しく台所に立つ私に、言葉をかけてくださったのが、すごくうれしかった。
 奥様ご自身も、突然のことで、びっくりされていらっしゃるでしようね。
魂は、一度、おうちにもどり、しばらくご主人と一緒に過ごされてから、
天国に戻っていかれるのでしよう。心より、ご冥福をお祈りいたします。
  今も、少し、心がシュン〜としています。
発作のように、悲しみが寄せてきて、今も、涙が出ます。
一瞬、一瞬、自分を大切に生きようと思いました。
そして、今、一緒にいる人たちと過ごす時間も、より貴重に思えてきました。特に親しくしている人のことは、
心から愛おしく思いました。
めちゃくちゃな、私の家族だけど、今頃どうしてるかな〜と、そんなことも思いました。
どこか、人がたくさんいるところに行って、どうでもいい話を聴かされる場所に行きたくなりました。
不思議です...。普段、そんなこと思ってもみないのに。
私、自分の父が亡くなった時にも思ったのだけれど、人が亡くなるということは、そういうことなのですね。
「心が動く、感情が動く」ということは、ある意味、生きているうちに体験する痛みや悲しみも、「感動」のひとつなのかしら。
感情が,,,動く,,,感動...。とすれば。


 マイアミに行っている間は、eponicaRecordの服部女史がメールや電話での、私のお仕事についてのお問い合わせを承りますので、ご安心ください。
 日記も、更新できるよう、頑張りますね〜。
元気に行ってきます。


2007年12月 8日

●転移感情の不思議


宿題がやっと終わりました。
ふ〜、今回はかなり時間がかかったなあ...。
2年生になって、宿題の分量が増えたのもあるんだけど、
困ったことに、宿題にとりかかるまでに、自分の中の言い訳と戦いの毎日が続きました。
 そんなこと今している場合じゃないのにタンスの整理をしてみたり。
部屋や、冷蔵庫の掃除をしてみたり〜。んもう〜〜。優先順位があるだろう〜!?
と、自分に言い聞かせているのに、なかなか机に向かえない。いやんなっちゃう〜。
 私、学生の時もそうだったな。試験勉強しなきゃいけないのに、机の整理整頓、計画表など作ったりして、勉強したつもりになってる。
 あ〜もう!これって、きっと、「やりたくない」っていう潜在意識の現れかも。
BBSHの宿題は特に、クライアントのHeeling中に自分の中にどんな変化が起こったかなどを、フィジカルレベル、感情レベル他、様々なレベルで知覚、感覚でレポートを書かなければならず、これがけっこうきつい。
 でも、その感覚を使って、クライアントの中にも、何が起こっているかを見つけることでもあるので、結構、深い作業。
 先日、たまたま新聞を読んでいたら、「夫が、喧嘩をすると、自分を無視して、一ヶ月口をきいてくれない。自分と違う意見を聞くと、烈火のごとく怒る。自分の意見をおしつける。自分が腹がたつのは、お前が悪いからだと言い張って、夫が悪くても、絶対にあやまらない。外との親しい人間関係を嫌う。問題追求をすると、話をすりかえて、別の方向から自分を侮辱する。いつ大爆発するかわからないので、怖い。」
という相談が掲載されていました。その時、私の中に、この記事の中の「男性」に、転移感情がわき起こり、強い怒りの感情が現れました。
「私が小さい頃、我が家ではみんながこうだったからかな、なんかムカつく〜。」
 そうそう、こういう感覚なんですね。自分のことじゃないのに、相手の話を聞いていたら、親しい友人や、家族の誰かを思い出して、感情が動く「転移」というやつ。 さっそく、冷静になり、様々なHPを調べてみたら、あら?びっくり!?
 このような男性の行為は、完全にDVや、精神的虐待として、とりあげられており、その家族や子供たちにに対する影響は大きいとのこと。
 特に、精神的虐待に関しては、物理的な傷や証拠が残るわけではないので、見逃しやすく、「それぞれの家庭ではよくあること」というように、安易に扱われやすいのが問題。
 家の中で、家族が自分らしくいられなかったり、自分の意見をちゃんと聴いてもらえなかったり、精神的に安全でないということは、実は、すでに問題なわけです。
 セラピーの仕事をするようになって、今頃、自分の家庭環境がどうだったのか、とてもよく見えてくるわけだけど、これ、知らなかったら、私、ずっと、自分を肯定できないままだったんだよなと思うと、ヒヤっとする。
 日本は、カウンセリングを受けることがアメリカに比べると、まだまだ日常的なことではないけれど、今は、たくさんのセラピストがHPを立ち上げているので、
困ったことがあったら、ひとりで抱え込まないで、是非、誰かに相談してくださいね。カウンセラーは、なんらか家庭の問題で、DVや精神的虐待を受け続けたために、失った自信や自己をとりもどしたり、自分は変じゃない、自分は正常であると、確認したい人たちのお手伝いをする仕事でもあるんです。


 
 


2007年12月 5日

●確かな変化

久しぶりに読む皆さんのレスポンスに感動...。
ありがとうございました。
まるで素敵な音楽を聴いたようです。

まったくね...こんな私です。
ただひとつ、見込みがあるのは、ず〜っと生きることが楽になってきたこと。
昔は、辛いんだか痛いんだか、苦しいんだかわからなかった。
ただひとつ、違和感の中に何年もいたということ。
BBSHに通い出してから、細かいモーメントの中で動く自分の感情や体のメッセージに耳を傾けながら、自分を感じていくという作業...これ、私、選んだ人生の中で、ずっと続けていくことを、受け入れてから、自分がカウンセラーでいる時間の状態が、以前と全く変わったことは事実。BBSHでの学びはかなり私のカウンセラー人生、音楽人生に大きな変化を与えたと言ってよいかもしれません。
 「死にたい」って言う人が、一日ひとりは訪れ、そのかたに、前に私も同じことばかり考えていたと伝えると、その人は「まさか?」と驚き、「本当なの」と答えると、クライアントは「何があったんですか?」と、さっきまで、もう歩けないって言っていた人が、いきなり生命力をとりもどすのは、何故なのだろう...。みんな誰かの力になりたい、誰かの役に立ちたい、そしてそうできたとき、自分の中に眠っている自分の生きるコアエッセンスに気付き、立ち上がれるのかもしれません。
 不思議なんですが、そのとき、紫色のピカ!っていうう星のようなものが、その人の右だか左側に光る。漫画で何かに思いついたとき、ピカって!電気が付くようなかんじなの。そして、顔色の悪かった人がとても美しくなる。顔色がワントーン明るくなる。いや〜エネルギーって本当に不思議...。
 DNAの中には、そもそも、「人の役に立ちたい、人の力になりたい。」というプログラムがあるそうです。それが達成された時、人の意識は覚醒する。だから気持ちがよいのかもね。私は、自分がまるで存在する許しを得るためにそれを、やっていたから、ちよっとまずいよね。しまいには、自己犠牲的に疲れてしまい爆発!そんな自分が嫌い!嫌い!!
 今日、ある女性との音楽療法セッションで、2メートル以上離れてていた自分と彼女の声が重なった時、あなたが?私?それとも、私があなた?という共鳴を作ったのを、体験し、ああ〜〜クライアントとのコンタクトというのは、こういうことなのか...というのを、初めて音楽療法のエネルギーレベルで体験したように思いました。それは、それは、感動的な瞬間。うまい、とかへたとか関係ないわけ。とにかく、声が一体化し、心地よいうねりを作った瞬間、相手のことが、手にとるようにわかる、その人の喜びと輝き。同時に私の喜びも彼女に伝わっていたと思う。彼女は素晴らしい彼女のLIFE SONGをMUSIC&DRAMA で作曲して元気に帰っていきました。
 それでもわからない私...自分が無意識にやっていること、う〜ん、何故音楽は人を元気にさせるのかなあ...。


2007年12月 3日

●お待たせ〜

皆さん、本当にお久しぶりです。
日記の更新があまりにもないので、私の様子を見に、名古屋の応援隊の弘美さんや浜松の岡林さんが、小蕪亭まで陣中見舞いに来てくださいました。遠いところ、ありがとう〜。

 BBSHから戻ってからというもの、まず最初に体験したのは、時差がもどらなくて、朝起きられない自分。なんと、目覚めれば、昼の2時。今までは帰国後すぐ仕事だったけど、今回から自分が収縮する時間をとるようにスケジューリングし、
自然に時差が治るように設定しておいたら、普段のコンディションにもどるのに一週間もかかりました。今まで、どれくらい自分に無理をしていたのかしら。

 その後、起こった自分の中の変容にゆったりと、身をゆだねておりました。日記が書けなくてごめんね。
 計画どうり動けない自分、一日にたくさんのことができない自分、誰かのためにサービスできない自分、愛想のない自分、誰とも話したくない自分、弱音をはく自分、自分に甘える自分、自分、自分、自分...。日記を楽しみにしてくれていた皆の期待に答えられない自分も、同時に体験していました。
 いつでもちゃんとしていないといけないって思い込んでいた理由は、ひとこと。怖かったから。歌手だからと言って、お料理ができないなんてダメ。社交ができなきゃだめ。気分が乗らないからって人に不快感を与えてはだめ。体調が悪いなんて人に気付かれたら心配をかけるからだめ、長男のお嫁さんみたいに、家族のめんどうをみられる許容量を人として持っていない自分でなければだめ。などど、様々な思い込みに縛られていた私。「なんでわたしばっかりこんなに大変なの!?」と、ストレスがピークに達すると、20代の頃から自分の部屋をめちゃくちゃにひっくり返したり、布押し入れの中の布団に頭を突っ込んで泣いていたっけな。
 なんのために自己犠牲を自分で選ぶのか?それが誰のためだったかといえば、それをやらないために他人から責められるのではないかという恐怖を感じたくないという理由に他ならなかったのでした。
 人に優しくできない自分は人に拒絶されるかもしれないと感じることがとても怖かった。その正体は、恐怖と不安。

「あんたって、中途半端な人間ね」心のどこかから、瞑想中にこんな声が聞こえてから、自分の中途半端さを、このひと月5回カウンセリングを受けました。
 私は私のやりたいように生きると宣言した一方で、「いい人」としても生きなければいけないような思い込みの2重拘束にずっとずっと悩んでいるのです。
 いいじゃん、あるがままで!と、言いながら、顔をのぞかせる人の良さは、
その恐怖を体験したくないからだったとわかったとき、なんだ結局、自分が可愛いからじゃん!本当に心から出た奉仕ではじゃないじゃん!?と、自分を責める。
あ〜だからかあ「私がやらないで、誰がやるのよ!」って、ブイブイ頼まれもしない親切を実行してしまった後に、怒りが出てくるの。自己犠牲的に頑張っちゃった後って。

日記が更新できなかった、その間、何をしていたかというと、私自身がカウンセリングを受けたり、誰かのカウンセリングをしたり、学校の宿題をしたり、友人の結婚式に出たり、映画をみたり、葉山の環境問題に取り組んだり、このひと月本当に、すごくたくさんのことを体験していたように思います。すごいタイミングで、私がその状況にサレンダーできたのは、強力な助っ人がeponica Recordに入社してくれたからでした。カウンセリング中はほとんど電話に出られません。そういう方への電話の連絡もメールの返信もすぐにできるわけではなく、本当にたくさんの方々にご迷惑をかけていた私でしたが、もう大丈夫。
「みゅーじん」の後は特に事務所は大変なことになっており、マイアミからもどってから、ひとりでは絶対に処理できない問い合わせの数々。
 背中の荷物を信頼できる誰かに一緒に担ってもらうことで、こんなにも軽い!
ひとりでかかえることはない。そして、今、自分の中にわき起こる創作欲求を押さえることができず、2008年は友人との社交、勉強、本の執筆、作品作り、新譜のリリースと特に音楽に全てのエネルギーを自分のために使っていくことに時間を投じても安全、それこそがあなたの仕事、誰もEPOを責めないよと言ってもらえることを信じてサレンダー!!
 え?私、すごく変なこと書いてる?「あったりまえでしよ?そんなこと?EPOさん、あなたの本来の仕事はそういうことでしよ?何今頃言ってんの?」って、
声が聞こえる〜う〜。