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2007年12月 3日

●お待たせ〜

皆さん、本当にお久しぶりです。
日記の更新があまりにもないので、私の様子を見に、名古屋の応援隊の弘美さんや浜松の岡林さんが、小蕪亭まで陣中見舞いに来てくださいました。遠いところ、ありがとう〜。

 BBSHから戻ってからというもの、まず最初に体験したのは、時差がもどらなくて、朝起きられない自分。なんと、目覚めれば、昼の2時。今までは帰国後すぐ仕事だったけど、今回から自分が収縮する時間をとるようにスケジューリングし、
自然に時差が治るように設定しておいたら、普段のコンディションにもどるのに一週間もかかりました。今まで、どれくらい自分に無理をしていたのかしら。

 その後、起こった自分の中の変容にゆったりと、身をゆだねておりました。日記が書けなくてごめんね。
 計画どうり動けない自分、一日にたくさんのことができない自分、誰かのためにサービスできない自分、愛想のない自分、誰とも話したくない自分、弱音をはく自分、自分に甘える自分、自分、自分、自分...。日記を楽しみにしてくれていた皆の期待に答えられない自分も、同時に体験していました。
 いつでもちゃんとしていないといけないって思い込んでいた理由は、ひとこと。怖かったから。歌手だからと言って、お料理ができないなんてダメ。社交ができなきゃだめ。気分が乗らないからって人に不快感を与えてはだめ。体調が悪いなんて人に気付かれたら心配をかけるからだめ、長男のお嫁さんみたいに、家族のめんどうをみられる許容量を人として持っていない自分でなければだめ。などど、様々な思い込みに縛られていた私。「なんでわたしばっかりこんなに大変なの!?」と、ストレスがピークに達すると、20代の頃から自分の部屋をめちゃくちゃにひっくり返したり、布押し入れの中の布団に頭を突っ込んで泣いていたっけな。
 なんのために自己犠牲を自分で選ぶのか?それが誰のためだったかといえば、それをやらないために他人から責められるのではないかという恐怖を感じたくないという理由に他ならなかったのでした。
 人に優しくできない自分は人に拒絶されるかもしれないと感じることがとても怖かった。その正体は、恐怖と不安。

「あんたって、中途半端な人間ね」心のどこかから、瞑想中にこんな声が聞こえてから、自分の中途半端さを、このひと月5回カウンセリングを受けました。
 私は私のやりたいように生きると宣言した一方で、「いい人」としても生きなければいけないような思い込みの2重拘束にずっとずっと悩んでいるのです。
 いいじゃん、あるがままで!と、言いながら、顔をのぞかせる人の良さは、
その恐怖を体験したくないからだったとわかったとき、なんだ結局、自分が可愛いからじゃん!本当に心から出た奉仕ではじゃないじゃん!?と、自分を責める。
あ〜だからかあ「私がやらないで、誰がやるのよ!」って、ブイブイ頼まれもしない親切を実行してしまった後に、怒りが出てくるの。自己犠牲的に頑張っちゃった後って。

日記が更新できなかった、その間、何をしていたかというと、私自身がカウンセリングを受けたり、誰かのカウンセリングをしたり、学校の宿題をしたり、友人の結婚式に出たり、映画をみたり、葉山の環境問題に取り組んだり、このひと月本当に、すごくたくさんのことを体験していたように思います。すごいタイミングで、私がその状況にサレンダーできたのは、強力な助っ人がeponica Recordに入社してくれたからでした。カウンセリング中はほとんど電話に出られません。そういう方への電話の連絡もメールの返信もすぐにできるわけではなく、本当にたくさんの方々にご迷惑をかけていた私でしたが、もう大丈夫。
「みゅーじん」の後は特に事務所は大変なことになっており、マイアミからもどってから、ひとりでは絶対に処理できない問い合わせの数々。
 背中の荷物を信頼できる誰かに一緒に担ってもらうことで、こんなにも軽い!
ひとりでかかえることはない。そして、今、自分の中にわき起こる創作欲求を押さえることができず、2008年は友人との社交、勉強、本の執筆、作品作り、新譜のリリースと特に音楽に全てのエネルギーを自分のために使っていくことに時間を投じても安全、それこそがあなたの仕事、誰もEPOを責めないよと言ってもらえることを信じてサレンダー!!
 え?私、すごく変なこと書いてる?「あったりまえでしよ?そんなこと?EPOさん、あなたの本来の仕事はそういうことでしよ?何今頃言ってんの?」って、
声が聞こえる〜う〜。