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2011年4月30日

●お願い純ブライト!発売されました。


昼間、辺見庸さんの番組をNHKで見て、深く感銘を受けた。
カメラに淡々と語り続ける彼の言葉は、歌のようでありました。
荒れ果てた大地から必然として生えた、そのもの歌です。
久しぶりに私は誰かの言葉に心が震えました。
地震を経験した人たちと一緒に泣き、過去、現在、未来に、
寄り添える歌があるとしたら、
う〜ん...辺見さんのような表現なんだろうなあ。

夜、ふっとスケートを見ていたら、
牧野さんのシングルのCM。
可愛い画像。PVもとっても素敵でした。
資生堂エリクシール制作秘話...3/11日地震まっただ中、揺れるスタジオの中で、
黙々とレコーディングされた「お願い純ブライト」。
牧野さんとの対談が http://natalie.mu/music/pp/makinoyui02/page/3にあります。
是非みてくださいね。


2011年4月28日

●フォト・ジヤーナリスト、内藤さんと

今日は地震発生から49日目。
日本中が鎮魂の一日でした。
とてもお天気がよく、海も奇麗だった。

昨日、フォト・ジャーナリストの内藤さん(『もうひとつのスーダン』:主婦の友社)と一時間ぐらい現地の体験のシエアリングをしました。
河原医師も、東北をサポートするために翌日から現地に入ったとか。
それについての貴重なお話しを聴き、深く心の支えになりました。

こちらから入る側のメンタリティーとして共通する、
デリケートな感覚や感情、すごくわかる...。
こういう人たちと話をすると本当に安心する。











2011年4月24日

●避難所にて

どんなことから書いていいのかわからない...。
ちょっと気持ちが落ち着いてきたので、
書けることから書いて行こうと思う。
なんとなく記憶が断片的だけれど、
今思い浮かぶ大切なことだけ忘れないように今日は書く。

私の父は気仙沼の出身。本吉町、津谷に実家がある。
2週間前まで全く連絡がとれず、本当に心配していた。

山形で私の活動を応援してくれている早坂さんが、
車を出してくれて2泊3日の旅につきあってくれた。
本当に心から感謝。
山形空港から気仙沼に入る道すがら私達は、声を失った。
何かに、形容することさえできない。
見たままのことが全て。
私の感想なんか書いても意味がない。

お昼に山形に着いたのに、悪路の連続で避難所に着いたのは夕方6:00。
慰問ライブの時間一時間前だった。

避難所...TVはあるけれど、誰も見ていない。
ラジオなどもほとんと聴いている様子がない。
だいたい地震があった当時、自分の街がどうなっていたのかさえ、
皆さんが知ったのは最近だという。
停電しているし、TVも見ることがでいない。
あまりにとっさでラジオなども手元にない。
あとでこれほど酷い状況だったのかを知って、
皆、腰を抜かしたとのこと。

避難所...
鬱鬱とした重い空気が床に張り付いたようにそこにあった。
自分の場所には荷物が置いてある。
ほとんどの人が食事を取りに言ったり、
トイレに立つ以外その場所から離れることがないという。

従姉妹の旦那さんが役場の人であったこともあり、
歌いに行くことになったけど、
避難所に入った瞬間、居場所がない...。
どこにいたらいいのかわからない...。
呆然と立ち尽くす。
皆に見られることすら、
申し訳ないような気持ちになっている自分がいる。

地震直後から、たくさんのアーテイストたちが、
応援Songをリリースしている。でも..ここにいるとね、
「誰が聴くのかな...そんなもの...。」
という、ちょっとむなしい気持ちになる。正直言って。
これって誰を喜ばせるための歌なんだろう...。
と、疑問に陥る。

この街を見て、今、被災している人たちが一番して欲しいこと...
それを考えると、実際にここに来て、
現実を見て、瓦礫の撤去をしたほうが、誰かのためになるんじゃないかって、
私は、本気で思ってしまった。
毎日生まれているたくさんのアーティストの支援Songの世界と、
現実にここで起こっている状況は、本当にかけ離れている。

と、思う一方で、
アーティストでもある私も、
音楽を作ることによって、何もできない罪悪感から、
免罪されてる部分もあるんだろうな。
それを聴く人たちにとっても同様に。
誰かを助けたいと思う気持ちには変わりがない。
音楽によって間接的にでも、被災地をサポートしたいという
気持ちをかきたてるというのも、実は素晴らしいことなんだ。
頭が冷えてきたら、そう思えるようになった。

Liveが終わって、叔父の家にもどると、
皆、堰きを切ったようにいろんな感情が湧き出て、
会話が止まらない。
楽しい話も、悲しい話も。次から次に話題が変わっていく。
とにかく、誰かに聴いて欲しいという気持ちで一杯。

「生きていることに...助かってしまったことに...家が壊れなかったことに..
罪悪感があるのよ...。」
そう言いながら、泣いている叔母や従姉妹の言葉に、私はかける言葉がなかった。
一緒に泣いた。
それぞれの、家族関係、避難所にも、
それまでは見えてこなかった、いろんな感情のひずみが噴出している。
状況に少し慣れて落ち着いてくると、
みんな個人のニーズを満たしたいと思う余裕が出てくるからだろうか?
その負担が若い人たちに向かっている。












避難所の方々は、ラジオも聴いているのかどうかわからない。


建物の前に小高い丘があったことで、津波の被害は避けられた。
でも従姉妹は、家が一階ぶち抜きで、波が来てグランドピアノも横立てになる被害。


2011年4月11日

●沖縄の力

昨日、宜野湾コンベンションセンター野外ステージで行われた
What Wouderful world~頑張れ東北!がんばれ日本!in OKINAWA.

本当に素晴らしいイベントでした。
企画が持ち上がってから、ものすごいスピードで準備され、
沖縄中のアーティスト、音楽関係者が無償で協力し「音楽の支援物資」を東北の皆さんにお届けすることができました。

たまたま、うさちゃんの両親の疎開を手伝って沖縄に便乗滞在していた私たち。
本当に、10日前ぐらいに、気仙沼の家族と連絡がとれ、
「エコちゃん、みんな、美しい音に飢えているの。早く、歌いに来てね」
そう懇願されたおばちゃんの声が耳に残り、
うさちゃんと相談して、とにかく実家に歌いに行くことを、
相談していたところでした。

一方で気持ちが焦る..
どうやったらいいのかわからない..

山形県の音楽関係者の友達が相談にのってくれて、
車、発電機やPA機材も貸し出してくれることにもなりました。
そんな時、沖縄の皆さんに声をかけていただき、
同時にこのイベントに出演することができたことを、
心からありがたく、感謝しています。

打ち上げのスピーチで知名さんがお話ししていましたが、
「ギヤラの話がでると、もうちょっと上げろだの、いろんなことを言うけど、
、無償と言うとなんでこんなに人が気持ちよく参加するのかね?
こんなんだったら毎年やりましょう。」

うん..こういう心情って人間にはあるよね。

みんなが音楽を、持ちよって必要な場所に盛る。
お供えみたいだな。

広い野外ステージに、なるべくアーティストの演奏が重ならないようにプログラムされており、誰かの演奏が終わると同時に、となりのステージで次の演奏が始まるの。
その時、お客様の大移動が始まって、それもまたすごいエネルギー。

沖縄の音楽仲間とも再会することができて、本当にうれしかった。
私的には、一度に沖縄のアーティストの方々の素晴らしいエッセンスに触れることができて、本当に貴重な体験でした。
楽屋もゆるゆるとなごやか。

個人的には、この数日前に別の場所で友達になった、
MONGOL800の清作さん、木下航志さんの大ファンになってしまった。

夜、とあるCafeでも支援イベントがあり、友達に誘われて遊びにいくと、
そこでも歌って〜とのリクエストをいただき、
地元のJazz Menと、FreeJazzに挑戦。
ヨーダさん〜高尾さん〜ありがとう〜。

その後、Bar 土に流れると、なんと?
そこには、清作さん、木下航志さんが、生音でLiveをされていました。
「祈り」という曲...泣けた。
清作さんが、航志さんのために書いた作品とのこと。
アルバムが近く、出るらしい。楽しみです。

パーカッションはなんと葉山の音楽仲間、Pすけさん。(沖縄に移住されたんですね)
こんなところで、再会するとは?
2部では2曲ほど、飛び入りで歌わせていただきました。
時計を見ると、なんと夜中の1時30分。

楽しすぎて、時間が足りない那覇の夜でした。





















2011年4月 8日

●まんぶ〜やにて

こちらにいるとひとつのことに集中できるのは何故かしら?
気がつくと、あっという間に夕方..。

最近友達になった、びびこちゃんのメールに癒されながら、
状況に焦らず、やってくる流れにまかせるという気持ちになれた一日。

家にもどってちょっと仕事。
夜は、市場にあるまんぶーやでLiveがあるというので、
飲みにいきました。

途中で野田さんとばったり。
浮き島ガーデンに行くとのこと。
へへへ...昨日行っちゃったもんね〜。
オーガニックのワインやお料理、素晴らしかった。
それに、普段からお世話になているシャララ・カンパニーがオーナーとのこと。
イベントや番組の制作会社ですが、沖縄方面に進出とは!?
びっくりでした。

まんぶーやでは、歌者の方の沖縄の歌と生演奏..。
そのおばさまの、サンバも秀逸でした。
沖縄の心の歌を堪能。
彼は、津波しんちゃんの友達だった。
なんか、つながってるな〜。

ここは、市場の魚屋さんやお肉屋さんが集う居酒屋。
誰もが笑顔。
ここ数週間で友達がたくさんできた。
みんな..新参者の私たちにとてもよくしてくれる。
うう..暖かい。

三線にも戸籍があるという話...素晴らしかった。
この楽器は3つの神様からできているという話...
三神...。

地元の人に聴かなければ、
知らなかったこと。
ドレミファソラシド〜〜
ちょっと弾けるようになったよ〜〜。





2011年4月 7日

●沖縄・東北関東大震災 支援チャリティーコンサート

朝..おもちゃんが怪我をした。

風でドアが閉まって..しっぽ挟まれ..

出血。わたしのせい...。

ごめんなさい...一日罪悪感で苛まれる。

獣医さんに連れてゆくけど、十分な治療ができなかった...。

泣。ケージに入れてとにかく、休ませる。


住居&事務所&Healing用の物件を探さなければならず、

そっちに頭もとられ一日ばたばた...

はあ〜〜今、私たち、流浪の民。

そんな中でも、沖縄で知り合った人たちに助けられ、

希望を見つける日々。

なんだか修行のような毎日がひと月続いています。

物件を探し回っている間..。

FM沖縄で、支援チャリティーの、このイベントのことを知り、

募金に行こうってうさちゃんと話をしていたの。


本当は、自分に今、半分住んでいる沖縄で、

何かできないかなって思ってた。

でもこのイベントは、沖縄のアーティストばっかりのラインナップ..

だけど、その中で、南こうせつさんのお名前もあったし...

自分から「歌わせて欲しい!」と、申し出る勇気がなかった。

きっと、大手のイベンターとか、そういうひとたちの仕切りだったりするのだろうから、

ラインナップをみてもそうそうたるアーティスト。

こんな、わたしなんか...と、自己評価の低い私...。

だけどね..おととい連絡のとれた東北の親戚やお世話になっているライブハウス、友達へのダイレクトな支援をここ数年の課題にしている自分としては、本当にうれしいお声がけでした。

心から、歌いたいって本当は思っていたの。2世東北出身者として。

そうしたら、沖縄の私のプロデューサーから電話があったの。

涙がでるくらいうれしかったです。魔法が通じたのかな。


東北関東大震災 支援チャリティーコンサート

「what a wonderful world ~がんばれ東北! がんばれ日本!~ in OKINAWA

4月10日(日) @ 沖縄県・コンベンションエリア  

開場/12:00  開演/13:00 入場無料


持ち時間20分...皆さん..是非、いらしてください。

本当に素晴らしいコンサートになると思います。


沖縄に来てから毎日が素晴らしい出会いで動いています。

すごく生きている感じがしている。


今..私。






2011年4月 5日

●マザー・アースが喜ぶ生き方


先日、宮本亜門さんのお宅で、

ジャーナリストの野中ともよさんとお目にかかり、

貴重なお話しを聞かせていただく中で、

心の中に残った言葉がありました。

「マザー・アース(母なる地球)が喜ぶ仕事。それが理念となる企業...。」


うさちゃんが書いた、猿回しの、スクリプトの中に語られていた、

「みんな同じ、土から生まれた仲間...」


音楽によって、

自分の心が丁寧に耕され、

そこに、新しい気づきの種がまかれ、

神聖な意識がその土の中で、心地よく育っていくような、

作品を作りたい。そんな活動をしていきたいな。


自分というマザー・アースが喜ぶ生き方。

それこそが、eponica Recordの理念であったことを、

今回、再び思いださせていただきました。

うさちゃんの両親の疎開で、沖縄に来てから ...

沖縄でも、東京でも、何人かの神んちゅに、

立て続けに知り合い、興味深い話を聴いている。

いまこそ、ふんばりどころよね。

















2011年4月 4日

●「もうひとつの風景」ありがとうございました。

葉山にある「もうひとつの風景」で行われた国府弘子さんとのLive。
祈りの時間。

予想を上回る人数のお客様に来ていただき、満員御礼となりました。
皆様、本当にありがとうございました。
プロデューサーの岩神六平さんと相談し、
Live収益の一部を東北地方の皆様への義援金にさせていただくことになりました。
私たちは、今後もLiveをすることで、
音楽発電となるような活動をしていきます。

国府さんのピアノ。
素晴らしかった...。

私たちのデュオは、かなりFree Zoonが多く、
曲の中でどちらかが覚醒していくと、どんどんお互いに触発されて、
二人の中に眠っていた野生、本当の感情や感覚が呼び覚まされる。

冷静でありながら、トランスしちゃう。
そのときね、音楽の神様に触れたような気がしてる。

Healing的に、日本という国をクライアント(人)にたとえてみた。
この人の中に、起こっていること。
問題となっている場所に必要なHealingは何か。
私なりに感じてみた。

神様が見ても、日本という人は、常に真実を語っている状態にあったかどうか。
過去から継続している痛みがあるのにかかわらず、
その痛みを正直に繋がることができていたかどうか?
またそれを、表現できていたかどうか....
必要な場所に、必要な治療をしてきたかどうか...
もしくは、その痛みを感じたくないために、
代償として行ってきた行為はなんだったのだろうか...
自分(日本)という素晴らしい存在に自分(日本)が、
自己に対する価値を与えてきたかどうか。

などと、いろいろ評価しているうちに気がついた...。
おや?これって、私が自分に対して、
できていないことと同じかもしれないって。

今、自分が自分に与えたいと思う使命こそが、
私の使命なんだって。

というわけで、
実は、歌いながら自分自身をプロセスしていたことに、
気がつきました。














2011年4月 2日

●〜桜•咲く夜の音宴〜さくらさくやのおとうたげ

いよいよ本日、地元葉山にて国府弘子さんとLiveです。
悲しいニュースが続く毎日。
東北地方の復興と癒しを願いながら、
今日も、祈りの歌と演奏をお送りします。

EPO & 国府弘子 Duo in 葉山
〜桜•咲く夜の音宴〜さくらさくやのおとうたげ
caféもうひとつの風景 http://fuukeicoffee.com/
http://www.eponica.net/live/

たくさんの方のご来場をお待ちしています。