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2009年4月29日

●人と関わるということ

 言葉の通じない人たちと、マイアミにいる間はずっと一緒に過ごしている。
言葉が通じないからと言って、恥ずかしがってコンタクトをとらないと、
孤立してしまうし、ひとりでいることが、安全でなくなる。
 幸い、仲良しの日本人の同級生が数人いてくれるおかげで、
私は、どれくらい助けられていることか。

「日本人ばかりかたまって...。」と、奇異な目で見る人も中にはいるかもしれないけれど、だからと言って、私たちは、他の国の人たちと、誰とも口をきかないかというと、
そんなこともなく、
けっこう皆と夜食事に行ったり、セレモニーのパフォーマンスに混じったりと、
個人的な交流はそれぞれが、別々の場所でなんらかとっており、
場にしっくりなじんでいる。

コンタクトという意味では、
言葉が通じなくても、皆と一緒にいたいという気持ちのほうが大きく、
気がつくと私は、泣きながら、笑いながら、日本語で話していることもある。

相手は、目をまんまるくしているけど、情熱や愛は確実に受け取ってもらえている実感がある。

 話は変わるけれど、
メールがやりとりされるようになってから、日本人同士でも、
こういうコンタクトを私自身、とらなくなっている人がたくさんいるな〜と思った。

仕事でもあまり、電話で話しをしなくなった。
なんでなんだろう...。業務を少しずつ委託して分散してるというのも理由かな。

実は、私自身も、友達と長電話をしなくなった。ちょっと寂しい。

94年、当時のバイエルという会社をひとりでやりくりしていた時、
PCを扱えなくて、ファンの人たちとのやりとりや、
お問い合わせや、クレームには、私自身が電話で対応していた。
ファンの人たちは、私がEPOだと知ってたかどうかはわからないけれど、
そういうやり方が、とても安心だった。

だって、外国じゃないんだし、言葉が通じるのよ?
お話したほうが早いじゃない?

 コンタクトの重要性を久しぶりに感じた出来事があった。
私は、今日、ひとりのファンの方にお電話でお詫びをした。
困ったことに、お問い合わせをいただいだとき、
私は、マイアミにおり、書類の所在が確認できず、
誠意のある対応が直接できなかったからだ。

 楽しみにしてくださったCDが数ヶ月たっても届かないという、
私の書類整理のミスで起こった事故だった。
 本日、オフィスで事実関係がわかり、直接お電話でお詫びをした。
相手の方には、私自身のミスであることを、謝罪しお伝えする必要があった。
だって、本当に、私の落ち度だから。

マイアミにいる間、このことが頭から離れず、心が痛かった。
今日、相手の方とお電話で直接お話しし、その方が、どれくらい残念な気持ちになっておられたかをあらためて知り、痛みや悔しさが胸とみずおちのところにリアルに伝わってきたの。
私たちは、それを知ることがまず大切なことだと思ったの。

小さい会社だからこそできる誠実な対応や、人間味や暖かさ。
eponicaという会社は、本当は、こういう会社だはずなのに。

相手の方のエッセンスを感じながらお話しをした。
同時に、私のエッセンスも受け取っていただいた。
とても優しい声で、今回のミスを許していただいた。
電話を切ったら泣けてきた。
ほんとうにありがとうございました。ごめんなさい。
が、ずっと心の中で鳴っていた。

体温のあるコンタクトには、暖かいギフトがついてくる。

メールはとても便利だし確実だけど、
私自身が、直接、相手の方とコンタクトしなくなった頃から、
いろんなすれ違いも確かに起こっているな〜と、
ふと思った。
メールを見逃していたり、ついつい後でお返事しようなんて考えるうちに、
次のことが始まってしまったり。
たくさんの方に、迷惑もかけてきたと思う。

メールで全てを済ませたいと思うことも内容によっては確かにある。

もしも電話で話しをしたら、自分の中に起こるであろう不調和や、真の自分と分離するかもしれないことを、起きる前から想像し、相手からの直接の反応を恐れ、恐れる自分にまた恐れるとき、メールだとそれを感じなくて済むからだ。

逆に、そんなメールを誰かから自分が受け取った時に、
どんなに傷つくことかも知っているのに。

今日は、相手の方から、体温のある誠実なコンタクトが、
いかに大切であるかを、あらためて教えてたいただいたように思う。
このことを、私たちは忘れてはならないと思った。

人と関わること。
これ全て自分に返ってくるギフトである。
その結果、受け取る現実に伴う痛みも。喜びも。