「光になった馬」の検索結果 : 23 件見つかりました。
2008年11月28日
2007年7月 8日
●富山県民小劇場でのMUSIC&DRAMA
富山県にあるオルビスホールというところで、
『MUSIC&DRAMA〜うたいかたり』が2Daysありました。
2日目の昼間は、小学校で600名の子供達やお母さん達のためのコンサート。
体育館は、子供達の熱気でムンムン。
私も汗びっしょりになりました。
うふふふ〜汽車(子供達にハーモニーを作ってもらい、大合唱しました)〜君と僕〜 雨降り〜海の中で泣いたなら〜WE CAN~
朗読『光になった馬』(宮川雅彦)〜たったひとつの
あっと言う間の60分。
大人にとっては、物足りない長さですが、子供は45分を過ぎた頃から、もうもぞもぞと集中力がなくなるんですが、
ライブの中で、宮川さんが、「そろそろお尻がいたいよね、じゃ、その場で立って、動いてみよう!」
そんな時間をプレゼント。子供達はいきなりおおはしゃぎ!カウントと同時に、ピタっと止まるというゲームをやったりしたら、
子供達のクイつきがよいこと。うん!これ、大人も楽しいかも。
そうそう、子供の脳は、体が動いていることで成長する構造をしているらしい。
大人は子供に「落ち着きが無い」と言って叱るけど、
もともと子供というのは、動く生き物なのですね。
「動くな、静かにしなさい」という方が構造上無理というもの。
子犬も、子猫もよく遊んで、よく動きますものね。
大急ぎでホールに戻り、舞台の準備。
『MUSIC&DRAMA~うたいかたり』は2日間とも満員御礼。
今回は、秋元カヲルさんとのトリオで、お送りしました。
私たちは、音楽家ですが、役者である宮川さんからのセリフの音の作り方に影響を受け、
秋元さんも私も、『かたり』の音がかなり変わってきました。
今回の舞台に組み込んだ作品は、『パノニカ』(セルニアス・モンク曲/秋元カヲル・作詞)『海の中で泣いたなら』『月日貝』(金子みすゞ)『昼と夜』
『どうしてかしら?』『ウオールデン』(秋元カヲル)『インディゴ』(秋元カヲル)『百年の孤独』『兵隊さんが泣いた』『君と僕』
この中に、宮川雅彦さんの『かたり』を折り込み、とても感動的な内容となりました。
特に、戦争と平和をテーマにしたシーンでは、会場が深い思いでひとつになったように感じました。
こうしてみると、自分が30代以降に作った作品には、舞台的に作り込める歌が多いことを発見。
自分の音楽でミュージカルってできないかな〜?とまたもや夢がむくむくと育ち始めています。
今日は、久しぶりに休み。
お天気予報では曇りだったけど、葉山には、うす日がさしていて、少し涼しく、
気持ちよい日曜日です。
今日は、飛行機の中で浮かんできた詩に曲をつけてみようかと思っています。
2007年5月 4日
●eponica追い込み!
今日も最高のお天気でしたね〜。
すごく気持ちよかった!!
うっかり遊びに行ちゃおうかな?と思いきや、eponica40号の追い込みが、せまってたんだっけ。
アトリエがもうひとつ増えたので、機材の引っ越しに追われて、
原稿のゲラチエックが遅れていました。
今日やらないと、宿題の締め切りも迫ってるのに間に合わなくなっちゃう。
でも、こんなに気持ちのいい日を逃すのは、もったいないような気持ちにもなり、
仕事の合間に、今日のライブの物販用のお釣り銭つくりを理由に、
お散歩がてら銀行へ。
せかっくだから、砂浜沿いに歩いて森戸まで行ったのですが、人、人、人で、歩けない!!
バーベキューを楽しむ家族連れで浜はいっぱい!
焼きそばの焦げるいい香りがしてきました。
アプリコットさんに、目撃されたのは、その時ですね?
そうそう、赤いスカーフ巻いていました!!私です!
もしや、葉山の方なのかしらん?
宮川さんは朝から事務所で、今日のメニュー作りと演出の一日。
彼は、ATMに、機械の故障でカードを吸い取られたりしたアクシデントがありましたが、
一時間後に、無事救出。
4日、今日、湘南国際村で午後1時30分から行われる、
MUSIC&DRAMAのパフォーマンス。「MUSIC&DRAMA~うたいかたり」
入場は、ハガキでお申し込みいただいたそうですが、
お客様の平均年齢が50歳〜70歳との情報もあり、
私たちのメニュー的には、ぴったりの層かもしれません。
今日のパフォーマンスのメニューに、私のeponicaの中に掲載予定の「光になった馬」
という作品がテキストで使われます。
今回は、宮川雅彦さんに朗読をしてもらう予定。
さっき、リハが終わったんだけど、宮川さんとのデュオは北海道のコンカリーニョ以来です。
とても楽しみです。
「母に心を引き裂かれて」この作品についてです。
実際にお医者様からそのように診断された境界性人格障害を持つご本人にとっては、
とても苦しいことだと思います。
きっと私の母も、子供の頃から、暗い海の底にいるような、孤独と悲しみに、
ずっと苦しんでいたんだろうなと、想像しています。
この作品は、同時に、周りにいる人達が、その親の影響で、どのように混乱し、
過ごしているのかも理解できるきっかけになるかもしれません。
「捨てられる恐怖」故に、なんでもやっちゃう。それって、すごく辛いことだもの。
相手が血のつながった、兄弟だろうが、子供だろうが、他人だろうが、
感情をコントロールできない。
だって、健全な自我があれば、愛する相手を、言葉や虚言や思い込みで歪曲させた非現実で、
傷つけたり、非難したりすることに罪悪感を感じない人なんていないと思うもの。
私は、母親や、兄から傷つけられることを、彼らと家族でいるために、受け入れて来ましたが、
どんなに受け入れても、報われなることがない空しい日々を過ごしていました。
ある日ね、思ったんです。
自分の生き方を行動に表現し、自分の生活や心の安全を優先させることにしようと。
その結果、人生が変わったように思います。
今まで何度もチャンスがあったのに、その選択をすることに感じていた私の罪悪感は、
私のものではないと気づいたからでした。
この罪悪感は、彼らが、自分に客観性を失い感情のまま行動や言葉の暴力で、人の心をコントロールしているという、
真我から来る彼らの罪悪感なのだと。その、彼らが感じている罪悪感を、私が自分の感情だと勘違いして、感じていただけ。
その結果、私は、今では、縁あって家族となったそれぞれが、それぞれの場において、
人生という学校で、オーダーメイドの教科書を与えられ、学んでいくしかないのだと、
思えるようになったのでした。
冷たいことでもなんでもないんです。それを、学びに私たちは、それぞれ、生まれてきたのだもの。
もう少し早く、この本に出会っていれば...
そんな風に感じた貴重な一冊でした。
この体験については、いつか本に書きたいと思っています。