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2009年12月 8日

●Love maskの下に隠しているもの

今日、2人の先生と先日のCaseの件で、面談をした。
ひとりのクライアントを何ヶ月かかけて見ていく『Case』というプロジエクト。
私はClass1で、既に発表を終えているんだけど、どうもまだ完了できていないような気がしていて、そのことを課題に書いて提出した。

ヒプノセラピーのトレーニングで、「どんなことがあっても、クライアントを絶対肯定すること。」と習ってきた。
私は、この数年、相手に対し、どんなことがあっても、相手の言動や行動を肯定してきた。
でも、それは、本当に本人のためになるのかな?って。
セッションをした後、自分が自分に嘘をついているような、
後味の悪い気持ちになることがあった。

「肯定する」ってなんなんだろう。
それ観察する前に、まずは、自分の中から観察してみたら、
わかってきたことがあったの。
私は、クライアントと接した時に生じる、クライアントに対する、
自分の否定的な感情を自分に肯定できていなかったの。
「セラピストなんだから、クライアントを否定してはいけない。」
そんな、自分の理想像のようなものが、
自分にいつも緊張や疲れを強いていたことに気がついた。

相手から嫌われたくないために、いい人マスクを使っていたような気がする...。
傷ついた人に、その人が真実の自分自身を受け入れ、本当の場所にもどっていけるように励ますのが、私の仕事なのに...。
私自身が真実の自分になっていない。
その時に生じる本人の痛みというのは、避けては通れないはずなのに、
私はクライアントに、このプロセスを与えることを、避けてきたのかもしれないと、
思うようになった。
その前に、自分が様々なクライアントに対し、「それって、変なことじゃないかと思う。」という本音を、感じたり伝えたりすることを、避けていたからなのだ。

マスクとは、世間に対してみせる、私自身の表面的な自己像である人格の外殻。
こうありたい、こうなりたいと考えている自分の理想像のようなもの。
私は、このマスクを使う時、現実の自分とそうでない表面的にいい人な自分を分離させている。

このマスク。
なんのために使うかというと、
幼年期に経験した痛みや、拒絶されたという感覚を、麻痺させるために作り出した防衛システムなんだとか。
私の心は、その体験のために、冷たく凍結したままのような気がする。

うう〜〜!!
痛ててっ。

たとえば、むかついた!とその瞬間の自分を生きるありのままの自分より、
いい人バージョンの自己像を世界に対して生きているために、
常に心がその違和感にかき乱されている状態。

これは、幸せに対する最大の障害になるんだって!?
おう〜さらに、痛ててて!

自分が幸せである状態というのは、いつも、心穏やかで、安心していられる状態であるから、もしも、私が、いつでも本当の自分でいられる才能があったら、
それだけでも幸せでいられるわけだよね。

いい人でいなければいけない。
人よりも、優れていなければいけない。
人に迷惑をかけてはいけない。
失敗してはいけない。
みんなのめんどうをみられるようでなければいけない。
皆よりも、先に、幸せになってはいけない。

こうやって私は、本当はやりたくものないのに、
たくさんの責務を背負って生きている。

この信念は、常に私自身にプライドを持たせ、
真実の私よりも、高いレベルの自分として設定されちゃってるので、
私は常に緊張し、疲れているわけ。

本当は、そんなこと全くしたくないのに。

私がクライアントに対して正直になれない瞬間は、
相手にこのマスクが働くことだ。

本当の自分とつながっていないということは、
他者とも深いつながりをもつことはできない。

「Eiko?あなたのエッセンスってなんだと思う?」
「....」

私は、自分の一番いいところ、得意なこと、
エッセンスを家族にずっと否定されてきていた。
運動も、音楽も、絵も、大好きな友達のことも。

それは、恥ずかしいことなんだとか、みっともないことなんだとか、世間に顔向けできないものだと言われ続けてきたから、とっさに人に聴かれても、
相手に言えない自分がいることに気がついた。

「う〜ん、よくわかりません。」(本当は、知ってるのに)
「Eiko?あなた、歌っている時、どんな気持ち?体はどんな状態?」

「私は、歌うことで、いつも、自分の本当の中にいられることが安心で幸せです。体は、暖かく、軽く、自在感に満ちあふれています。」

「それが、あなたのエッセンスでしよう?もう既に知っていることでしよう?
人といるときに、同じようにできるかな?」
「歌っている時と同じように、人といるって、どういうことかわかりません。」
「今、答えを出せなくてもいいので、練習してみましよう。今が、その時ですよ。」

私...号泣。
その時に思ったの。
私が感じていた「肯定」という言葉に対する、違和感の理由。
私自身が、コアとソウルシート(魂が憧れている場所)つながっていない状態で、
表面的に相手を肯定していたからだって。
この行為は、私が本当の自分の感情を否定していることだからなんだって。

私は、これまで、痛みと怒りを、いい人になって、隠そうとしている事実を否定している。
いい人は、そういう感情を持ってはいけないからだ。
ネガティブな自分や、文句言う自分や、否定的な自分、やさぐれている自分に、
責任取るのを、放棄してたんだ。
私。

あ〜もう。なんども言ってるけど、
いい人はもうやめたい。
だって、責任とればいいんでしよ?
ネガティブな自分にも。
もしかしたら、いい人やめるの、簡単かも。

そんな私をあぶり出してくれた、ChiyomiとJosef先生に、心から感謝。
生まれ変わるぞ!私。










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