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2009年10月28日

●怒りの底にあるもの

東京の仕事場で大泣きした。
最初に怒りが湧いてきて、
その後で深い悲しみが押し寄せた。

大声で泣いた。
泣き止んだと思ったら、また怒りにもどり、
そしてまた悲しみにもどり、また怒りが湧いてきた。

そんな感情を何度も行ったり来たりした。
泣きすぎて、鼻声になり、
声は結局もとにもどらなかった。

自分の体に起こった感情のライフ・パルスを意識し、
受け止め、自分に許した。
相手を許せないと感じることを、自分に許した。
そしたら、少し、現場で起こったことと、
自分の感情を分けて受け止められるようになり、
落ち着いた。

むしろ今まで、このネガティブな感情を、いい人マスクで覆い、
大人のふりをし、
人を騙してきたことの方が、
罪である。

それは、自分を騙すことと同じだ。
だから苦しかったんだってわかった。

泣きじゃくる私の目の前で、スタッフが、じ〜っと静かに私が落ち着くのを待ってくれた。
構成作家の彼のもうひとつの仕事はお坊さん。さすが冷静。

我慢する自分、いい人でいる自分、
私は家庭環境が過酷だったおかげで、
誰よりもその部分が発達してしまった。
怒りの底にあるものは、
悲しみだったんだな。

「そんなことされると、悲しいよ」本当に言いたいことはこれなんだよ。
そして、同時に、それをうまく表現できないことも悲しいの。
その悲しみを、我慢させられることの方が多かったために、
これって、悲しみなのかどうかさえ、わかんなくなっちゃってる。
悲しみを悲しみと、感じられず、
それをどう表現したらいいか、もやもやして、もっとわかんなくなっちゃって、
そのいらいらが、怒りになってて、
悲しい感情の周りに、いろんなものくっつけて、
武装して、私は、怒ってるんだって、
なんか今日、わかった。

そう、そんなことされると悲しいんだよ!
私は。(ごめんね。何があったか、全部を説明できなくて)

人間らしく、何かに抵抗する自分、違うと思うことを違うと言える自分、
自分のニーズを相手にはっきり要求する自分、
私は、その自分が、まだまだ未発達であることを痛感する。


今日の私はすがすがしい。
自分が自分であるような気がする。

家に帰って、うさちゃんによしよししてもらった。
私は、いつものように、小さなこどもになった。

夜、高校の時の仲良しの友達の声を聞き、
暖かい気持ちになった。
もうねみい。ねる。













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