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2017年5月16日

●母の日に思う。

512日に57歳を迎えることができました。

たくさんのお祝いメッセージをいただき、

本当にありがとうございました。

誕生日当日は、横浜で、5月19日にライブを控える、

鬼怒無月さんとのデュオのリハーサルをしていました。

健康で、楽しく、自由に歌えていられることの幸せを感じながら、

最終で沖縄にもどり、その日は夫とゆっくり食事。

翌日から、ようやく私のGWスタートです。

 

14日は母の日でしたね。

「お母さんが好き」と、言える人は、

幸せですね。

実は、私を生んでくれた母が、

今年の2月12日に母が他界していました。

「他界していました。」

と書いたのは、

私は、母が亡くなったという知らせを、

すぐにはもらえなかったからです。

 

「人が亡くなると、生前のその人の姿が、

みごとなまでに残された人に映し出される。」

と、聴いたことがありました。

 

実子である私に、実の家族から知らせがこないこと。

大切な葬儀場の場所も詳細も、

私には送ってもらえなかったこと。

 

この状況全てが、母の考え方を映し出すものであったならば、

家族の非常識さを問うものにはなりません。

 

母のこれまでの不可解な情動に、病名を付けるなら、

あてはまるものがたくさんありました。

治療は、医療関係者のみが治療を許される難しい領域にありました。

 

私と夫は、2007年に、フロリダ州マイアミにある、Brennan Healing Scienceで、生体エネルギーと心の関係を4年間専門的に学びました。

それは、母親だけでなく、人の行動と思考を理解する、よい助けになりました。

 

私が受けた虐待の記憶、言葉の暴力、虚言、

悲しい記憶は、今でも私の心や体に残っていますが、

何故、母がそうなってしまったのかを、理解することで、

母への嫌悪感の質は、以前とは少し違ってきたように思います。

 

母が亡くなってから49日目。

当然、私には、49日の案内は来ません。

私たちは、沖縄式で、恩納村の海で母を送りました。

親しい友人たちに集まってもらい、

ごちそうをお供えし、うちかび(天国で使うお金)をたくさん焼いて煙にし、

母には、あの世で贅沢をしてもらうことにしました。

 

今でも母が亡くなったことに、涙は一滴も出ません。

母は、心の苦しみから開放され、

私の本当の私のお母さんになって、

天国から私を見守っていてくれることでしよう。