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2012年6月29日

●悲しみの忘れ方?

epoさん、悲しみの忘れ方を教えてください」と、

セッションで聴いてきた方がいました。

 

そう聞かれて、私はどうやって自分が過去の悲しみを忘れてきたかを、

本当に思い出そうとしたのですが、思い出せませんでした。

 

それに、そのことを思うと、そこにはまだ悲しみがあるから、

私は悲しみを忘れたのではないんだなとも思いました。

 

よく、「悲しみを乗り越えよう」と、私たちは話ますが、

悲しみって、乗り越えることができるのでしようか?

乗り越えたって、誰かを失ったという悲しい事実も、

確実にそこにあるし、

夢で泣いてしまうことだって、私、まだあるんです。

だから、ちっとも「乗り越えた」という感じではない。

 

でも、確実にあの頃の自分ではなくなっていることは事実。

どこが違うんだろう...

 

私たちは知らないうちに、あの悲しい感情がある場所から少しずつ時間を重ねて、

今を生きるようになります。

今を生きるようになると、今という積み重ねの経験が増えて、

そこに感情の置き場をおくようになる。

そうすると、悲しみの場所にいる時間よりも、

今を生きる時間のほうがふえて、少しずつ、それが過去になっていくような気がするんですね。

 

私は時々、思うのですが、今と過去、もしくは、子供の私と大人の私には、

橋がかかっていて、

なにか、過去の悲しみを思い出させられるような出来事が起きると、

一瞬にスイッチが入って、人は過去の痛みのある場所にもどることができるんだけど、

あの時と同じような悲しみや痛みとは、確実に少し質が変わっていることに気がつきます。

それは、乗り越えたとか、忘れたということではなく、

それ以降の他の体験によって、記憶のファイルが少し奥の方にしまわれたという感覚なのかもしれません。

だから、「今をちゃんと、たくさん生きる」そのことが、

もしかしたら、痛みを和らげてくれることの助けにはなってきたのかな?

と、そう思います。

 

だから、悲しみの忘れ方なんかないし、

乗り越え方なんか、ないように思います。

ただあるのは、今を真剣に生きるだけ。

悲しみや痛みを正直に感じることさえ、

記憶のファイルを過去にしていくいい方法かもしれません。