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2008年7月16日

●歌の力

呼吸器系の授業でのこと。
午後は解剖学の学びとHealingを実践で体験するワーク。
私は最初にクライアント役。Healerはヨーロッパ校の一年生の男性。
セッションが終わって、彼が受け取った情報をシエアしたところ、私の第三チャクラに手をおくと、いきなりそれまでの深い腹式呼吸から、
浅い胸呼吸に変わったんだそうです。彼が感じた情報によると、「自分をコントロールしすぎる」だそうでした。
「何が君をそうさせてるの?それは、どこからきたアイディアなの?」
ストレートな質問に私は言葉もありませんでした。

そういえば、昨日も、一昨日もHealer役の人に同じコメントを言われていたっけ...。
「もっと自分を拡張させたいって、思ってる?のになぜやらないの?」
第三チャクラが意味するものは、「自分は何者であるのか」という意識。
私のそれは、私自身の存在否定と、言葉と体の虐待で、破壊されまくっている。
今も、私は先生とのセッションで第三チャクラの再構築中。

肉体を使って運動しているときや、絵を書いているときや、音楽を作り、詩を書き、歌っているときは、
自分がそこにいる感じがするのに、そうでない時の私は、周りの世界に対して、自分が存在することに危険を感じており、
実際に、ここにいてもいいのかどうかもわからなくなってしまう。
そうすると、ふ〜っと体を抜け出して、どこか違う世界に遊びにいっちゃう。

「私は、ここにいていいんだ」と、ちゃんと地球に存在することを決めたとたん、
初めて体験する自分のありようや、自己表現に今でもなかなか慣れなくて大変なの。

嫌われたらどうしよう...
みんなが私から去ったらどうしよう...

まだ起こってもいないことにいまもおびえているのです。
音のしない静かな戦場にポツンとたたされて、いったいどこから飛んできようもない銃弾のために鎧を身につけ、
警戒しているかのよう。しかも、おばかなことにその鎧が重くて歩けない...。
そんなイメージ。

自分を拡張させる準備はすっかりできているのに。
あとは、私次第。

セッションが終わってから、胸に何かがつかえたようになっていて、うまく息が入っていかない。
苦しい。(ということが、今まで普通のことで、苦しいって感じなかったんだから、すごい変化です)

授業の終わりにシエアリングの時間がありました。
イスラエルからきている女性が、自分のプロセスについて語った後、「急に歌いたくなりました。」と立ち上がり、
彼女の国のちょっと悲しげな宗教歌を歌い始めたとたん、私の中から涙がドド〜〜。
テクニックがあるとか、ピッチがいいとか、表現力があるとか、そんなの関係なく、
その人が、その時の感情のおもむくままに歌った歌声が、私のかたくなな心のフタを開けてくれたのかもしれません。
そのとたん、「ポン!」と、音をたてて、私の第三チャクラが開いたのです。
「あ?息が吸える!」す〜と深く私は空気を体いっぱいに取り込んでいました。

人を感動させる歌というのは、こういう歌のことをいうのだわ。
あるがままで歌う人の姿もまた、人に覚醒の力を与えるんだ,,,,。
授業が終わってから彼女にお礼を言ってハグしたの。

なんか、私、何かがわかったような気がした。